次女についても、足を持って地面に体を数回叩きつけ、崖に投棄。さらに、自転車のランプを手に崖の中腹に留まっていた長男と次女を探し出し、まだ息があるのを確認すると口封じのために石で顔や体をめった打ちにして、完全に殺害。
誤算だった「生存者の存在」
長女だけが、怪我を負いながらも草むらに隠れて奇跡的に一命を取り留めた。
記録によれば、親と妹弟を殺された彼女は、警察の要請に気丈に応じ現場検証に立ち会ったそうだ。
止まらない狂気
年が明けた1952年1月、栗田は千葉県検見川町(現・千葉市花見川区)の妹夫婦が暮らす家に身を寄せていた。同月13日、以前盗みに入った近所の家に着物が数多くあったことを思い出し、再び同じ家に侵入。
この家に住む24歳の主婦に見つかり騒がれたためタオルで首を絞めて殺害、物音に気づいた63歳の叔母も包丁で腹を刺して殺し、主婦を屍姦した後、勝手口から逃走する。
しかし、犯行現場に残された指紋から栗田が浮上、事件から4日後の17日に逮捕に至る。
取り調べで栗田は素直に犯行を自供。静岡県の2女性殺人(うち1人は不起訴)、小山市の主婦殺しも自分の犯行と認めたが、おせんころがしの母子殺しについては頑なに犯行を否定した。
1952年8月13日、千葉地裁は検見川事件について死刑判決、翌1953年12月21日には宇都宮地裁が小山事件について死刑判決を下す。
一審で2回の死刑判決が出されるのは日本の裁判史上初で、1982~1983年に起きた警察庁広域重要指定事件113号事件で、名古屋地裁が被告人・勝田清孝(1948-2000)に二度の死刑を宣告するまでは、国内唯一の例だった。