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人間のやることか
その後、栗田は控訴するものの、途中で取り下げ刑が確定(1954年10月21日)。
東京拘置所から処刑設備のある宮城刑務所仙台拘置支所に移送される。凶暴な面影はなくなり、死刑を回避するため再審の申し立てを繰り返す。
この間の1956年、国会で死刑制度の廃止・存続をめぐり論争になったことがあったが、当時の最高検察庁検事の安平政吉は栗田を例に出し、「記録を見ただけでも実に憤慨に耐えない。これが果たして人間であろうかと、思うような人間もいる」と主張、死刑廃止に強く反対した。
また処刑前、東京拘置所の精神科医だった加賀乙彦(後の作家。1929-2023)が面会に訪れた際には、栗田は涙ながらに訴えている。
「先生、生きたいんです。助けてください。ここにいると1ヶ月に一度はお迎えが来るんです。とても嫌です。なんとしても生きたい。……夢が多いんですよ。胸の上に重たいモノが乗っかってきて、もがいてもちっとも動かない。必死になってもがくと小便をもらしているんです」