自閉症や知的障害についての知識はなかった
――「最低な思考」というのは?
麻希 結局、それが今の息子の状態ではあるんですけど。
まだ未来が明るかった赤ちゃん時代に、大人の姿まで想像しちゃってたっていうのもあって、かなり暗かったですね。
――自閉症や知的障害について知識があった?
麻希 全然、まったく知らなくて。24時間テレビで見たことがあるなとか、同じ学校の子にもそういえばいたなぐらいのイメージしかなかったんですけど、心配事を検索するとそのワードが一番先に出たので、予想していた感じです。
当時は知的障害と自閉スペクトラム症の違いさえ分かっていない状態だったので、あとからめちゃめちゃ勉強した感じです。
――その後、診断がついたのはいつ頃だったのでしょうか。
麻希 2歳になる直前に駆け込んだ病院で、あっさり「自閉症の傾向がありますね」と言われて。その後、療育手帳を取る時に知的障害と自閉スペクトラム症ということで、確定診断が出ました。
――診断がついたときの率直な思いは。
麻希 「どっちなんだろう」っていう不安な時が苦しかったので、診断されたことでこれからどう生きていけばいいか分かるというか。そういったところで正直ほっとしましたね。
と言いつつ、その帰り道は泣きながらチャリンコを走らせて帰ったのも覚えています。
「もう意味のある言葉は喋らないかも」と覚悟していた
――周りから「心配しすぎじゃない?」と言われていたということですが、「やっぱりそうだったじゃん」みたいに思ったりしませんでした?
麻希 あります。やっぱり、親の勘ってすごくない?みたいな。
息子に障害があるんじゃないかと母に相談した時、最初は「そんなこと考えるあんたがおかしい」と冷たく言われて、かなり落ち込みました。
ただ母は母で、自分自身が歩いてきた「普通の道」しかわからないし、人にはそれぞれ理想とする子育てがあって。だから、否定したい気持ちをただちに「差別だ!」とも思わないですし、そりゃあ私だって普通の育児をしてみたかったですしね。
――今は特別支援学校に通われているということですが、就学前は保育園・幼稚園などに通われていたんですか?
麻希 息子の場合かなり早い診断だったので、一般的な幼稚園や保育園といった選択肢は考えずに、療育園という、発達の遅れや障害のある子を支援する施設一本でいきました。
そこと並行して言語療法や作業療法といった個別の療育にも行っていましたし、小学校入学前まではすごくいろんなところに通ってる状態で。
――言語療法も受けていたんですね。
麻希 4歳くらいまで、「ああ」みたいな喃語しか喋らなかったんです。「ブーブー」とか「ママ」みたいな、意味のある単語はもう一生喋らないかもしれないと覚悟していたんですけど、ある日突然、鉄道のYouTubeを見ている時に「カンカン」と言葉を発してひっくり返りました(笑)。
言語療法の成果なのかはわかりませんが、支援学校に入ってからまた爆発的に言葉が増えていってます。

