1996年7月28日、アトランタ・オリンピックの女子マラソンが現地時間の午前7時5分(日本時間では同日の午後8時5分)、スタートを切った。

 19キロ地点でエチオピアのほぼ無名の選手だったファツマ・ロバが先頭集団を抜け出すと、その4年前のバルセロナ・オリンピックで2位の有森裕子(当時25歳、リクルート・ランニングクラブ所属)、同じく1位のロシアのワレンティナ・エゴロワらは追いかける格好となる。

 有森は、得意の下り坂が始まる30キロ地点から飛ばせという小出義雄監督からの事前の指示どおり、そこから一気にスパートをかけた。しかし、後続集団を引き離したあとで、今度はエゴロワがスパートしてきて、34キロ過ぎで追いつかれる。

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アトランタ五輪での有森裕子 ©文藝春秋

「後ろ、来てるぞ、逃げろ!」

 有森は下り坂の後半で足がしびれかけており、エゴロワに抜かれると、ここはがむしゃらにいかずに自分のペースを守ることに専念する。だが、40キロ地点の下りを過ぎたあたりで、沿道の小出監督から「後ろ、来てるぞ、逃げろ!」と声が飛んだ。有森はしばらく何のことなのかわからなかったが、競技場に入り、スタンドがざわついているので後ろを振り返ると、ドイツのカトリン・ドーレ・ハイニッヒが迫っていた。驚いて全力を振り絞って何とか逃げ切り、ロバ、エゴロワに続き3位でゴールインする。タイムは2時間28分39秒だった。

レース後のインタビューで有森が語った言葉

 レース後、テレビのインタビューに応えた有森は「終わりました」と第一声を切り出すと、「みなさんが支えてくれて、スタートラインに立てたのがうれしかった。私らしく、このあとは何もない気持ちで、すっきり走ろうと思った」とスタート前の気持ちを明かし、「30キロからは得意の下りだから、足が少ししびれていたが、飛ばすだけ飛ばしてみた」とレースを振り返った。しかしこのとき、人々にひときわ印象を残したのは次の発言だろう。

「メダルの色は銅かもしれませんけど、終わってから『何でもっと頑張れなかったんだろう』って思うレースはしたくなかったし、今回は自分でそう思ってないし、初めて自分で自分をほめたいと思います」

1996年アトランタ五輪で銅メダルを獲得した有森裕子 ©時事通信社

 そう話すうちに彼女は涙ぐみ、うつむいた。その姿には、バルセロナからの4年間、一時は自分の行くべき道を見失いかけ、苦悩しながらも、再びオリンピックに出てメダルを獲れたという感慨があふれていた。