高校では「素人はいらん」と門前払い
高校こそは陸上部に入ろうと、前出の就実高校に推薦で入学した。だが、中高一貫の同校では、中学から素質のある生徒を率先して入部させていたため、中学で陸上経験のない彼女は、監督に何度も「素人はいらん」と門前払いを食らい続ける。それでも彼女は粘り、1ヵ月近く経ってようやく監督に話を聞いてもらえ、熱意を訴えると入部が認められた。
折しも、高校に入ってから、前出の都道府県対抗女子駅伝や大学女子駅伝などが始まり、トラックでも3000メートル、5000メートルと中距離種目が追加された。おかげで有森は自分を試すチャンスに恵まれ、県大会に出ればとりあえず県記録を出し、県の強化合宿にも参加できた。ただ、全国レベルにはほど遠かった。
それでも彼女の頑張りは監督も認めるところだった。800メートル走でラストの直線に入り、貧血のため体が言うことをきかなくなると、動かない右足の腿を手で叩きながら走った。その姿はまるで競馬の騎手が馬に鞭を入れるようで、監督に強烈な印象を残す。高校卒業に際し、彼女は体育の教師になりたいと、東京の日本体育大学への進学を志望し、監督が推薦してくれた。
日体大でも陸上を続け、入学してすぐに出場した関東大学選手権の3000メートルでは2位に入った。だが、このあとはせいぜい、4年生のときに大学女子駅伝で区間賞を獲得したぐらいで、大学時代はとりたてて注目されないまま終わる。
大学4年のとき、教育実習で母校へ
教師志望だった有森は、大学4年のとき、母校の就実高校へ教育実習に行った。しかし、生徒に教えていると、どうも自分らしく思えず、気持ちがパッとしない。なぜかと考えてみて、自分は人を動かすより自分が動きたいんだと気づいたときには、あっさり教員の道を捨て、採用試験の申込書も破っていたという。
ちょうど教育実習で再会した高校時代の監督から記録会への出場を勧められ、自己2番目のタイムを出したことで、自分はまだ走れるかもしれないとやる気が湧いていた。しかし、走り続けるため、実業団のチームに入ろうとしたときも、またしても難色を示されてしまう。
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