このとき、前年に続いて補欠となった有森は、またしても出場できないことがショックで、暗い顔でいた。彼女だけでなく、少なからぬ選手が緊張や悲壮感で表情が硬くなっていたらしい。ゲストとして出席した高石はそれを見て、選手たちを励まそうと思ったのだろう、こんな言葉を贈ったという。

《ここまで来るのに一生懸命がんばって、苦しいことも悲しいことも乗り越えてきたんでしょう? だったら、人にほめてもらうのを待つよりは、自分で自分をほめなさい。それがとても自然なことだし、大切なことです。明日のレースはそれぞれ目標があるだろうけれど、とにかくがんばりなさい。自分で決めた道なのだから》

「いつか強くなったときにしか言わない」

 それを聞いて有森は、私だって頑張ってきたんだと共感し、「自分をほめなさい」という言葉に寄りかかりそうになった。だが、すぐに我に返ると、自分はあくまで補欠という立場であり、そんな甘っちょろいことを言って自分をなぐさめている場合ではないと思い直す。

 すると、ボロボロと涙が出てきて、会場で大泣きしてしまう。そして宿泊先に戻ってから、練習日誌にこの言葉を書き留めたうえで封印すると、《「今、自分をほめてしまったらこれ以上強くならない。この言葉を口にしてはいけない。いつか強くなったときにしか言わない」。そう自分に誓った》という。

ADVERTISEMENT

©文藝春秋

 そんなふうに「いつか強くなったとき」に言うと自分のなかで誓った言葉を、いまこそ口にしていいと思えたのが、アトランタでメダルを獲得したときだったというわけである。

走ることは、自分が輝くための手段にすぎない

 アトランタ五輪にたどり着くまでの道は険しいものだった。しかし、有森はそれ以前に、マラソンを始め、バルセロナ五輪で銀メダルを獲得するまでに何度も紆余曲折を経験している。高校時代からして、駅伝チームでは3年間ずっと補欠だったが、そもそも陸上部に入るときもいったんは壁に阻まれていた。

 有森は小学5年のとき、憧れの先生が顧問をしていたので陸上部に入ると、走ることこそ自分が頑張れるものだと気づいた。中学には陸上部はなかったが、体育祭でみんなが走りたがらない800メートルに立候補し、自主的に練習を重ね、3年間ずっと1位になっては脚光を浴びたという。

 のちに彼女は、走ることは自分にとって好き嫌いでとらえる対象ではなく、自分が輝くための手段にすぎないと繰り返し口にしているが、その原点が中学の体育祭だった。