結論が出ないまま、有森は1997年春にプロ活動開始を言明し、CMへの出演を始めた。マスコミからは「銭ゲバ」「金の亡者」「さもしい」などとバッシングも受けたが、結果的に有森の粘り勝ちで、1998年夏に陸連は規定を改正し、選手のプロ化を事実上容認するにいたった。

「やっぱり有森さんの存在は大きくて…」

 のちに2000年のシドニー・オリンピックで有森と同じく小出義雄門下の高橋尚子が金メダルを獲得し、翌年、彼女もまたプロ宣言した。これについて高橋は、小出からの勧めがあったことに加え、《やっぱり有森さんの存在は大きくて、あれだけの思いでプロの道を切り拓いてくれたからこそ、私もその道を進みやすくなったんです》と感謝の念を口にしている(『Number』2019年5月16日号)。有森が筋道をつけたおかげで、後輩たちのその後の人生の選択肢も確実に広がったのだ。

高橋尚子 ©文藝春秋

スキャンダラスな報道に怒りを覚えた

 有森は選手のプロ化のため孤軍奮闘するのと並行して、私生活でも闘っていた。1998年に結婚したアメリカ人男性の借金問題が報じられ、騒動へと発展したのだ。このとき、黙っていても何か書かれてしまうのだから、自分の言葉を発したほうがいいと、有森はマスコミの取材を断らなかった。

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 だが、借金を返していないのだから批判されるのはしかたないところもあると甘受した有森も、夫が同性愛者であるとの報道が出たときにはさすがに怒りを覚えた。彼からそのことは結婚前に聞かされていたが、とりたてて気にすることはなかったという。彼女からすれば、あくまで二人だけの問題であり、誰かに迷惑をかけるわけではないのに、メディアでスキャンダラスにとりあげられるのが許せなかったのだ。

 じつは騒動が起きたころ、弱気になった彼から別れようと切り出されたものの、有森のほうは、いま離婚したからといって何が解決するのかと、別れる気はまったくなかった。その後、二人そろっての記者会見で発表のうえ一旦別居したのも、彼が自力で借金を返済するには、一緒に住んでいては有森にだらだらと頼ってしまうので、ひとまず距離を置いて見守ろうと考えたからだ。

当時の夫の金銭トラブルや別居を選択したことについて、1998年2月に記者会見を開いた ©文藝春秋

 別居中もずっと連絡は取り合い、1年後には再び一緒に暮らすようになる。岡山に住む母親は、周囲の意見に振り回されるなかで離婚するよう忠告してきたが、こればかりは聞き入れることはできなかった。