プロ転向の効果を証明
この騒ぎのなかで、プロとしての初レースを1999年のボストンマラソンに定めると、チームを組んで準備を進めた。約3年ぶりにランナーに復帰したボストンで、有森は自己ベスト(2時間26分39秒)を出して3位に入賞する。それは夫の支えがあったおかげでもあり、結婚したことも、プロになったこともマイナスにならなかったと証明できた。このとき両親にも見てもらいたくてボストンに呼んでおり、自然に以前のような関係に戻れたという。
結婚生活はその後も10年あまり続いたものの、2012年、有森は前年に離婚したことを公表している。競技者としては、シドニー・オリンピックを目指して2000年1月に大阪国際女子マラソンに出場したが、9位に終わった。
「宿命に逆らうのはやめよう」1年の休養で得た気づき
シドニーでは先述のとおり高橋尚子が金メダルを獲得する。ここで本来であれば、プロを自認するのならなおのこと、もう一度頑張って自分も金メダルを狙おうと奮起するところだが、有森はどうも他人事のように感じてしまい、そうは思わなかったという。
そんな自分に「何かが違う」と気づいた彼女は、休養を決心する。現役引退ではなく休養としたのは、《いったん頭をクリアにして、「もう一度この勝負の舞台に戻りたい」と心から望めるなら本物のプロになれると》思ったからだった(有森裕子『やめたくなったら、こう考える』PHP新書、2012年)。
こうして2001年11月から休養に入った。ちょうどそのころ、友人が出産することで別のパワーが湧いたと聞いて、休養中には、出産の予定を立てたりもしたという。しかし1年も経たない翌春、何人かの仲間とアスリートのための会社を立ち上げないかという話で盛り上がった。アスリートに対して意識改革の必要性をなおも感じていた有森は、この話の流れのなかで「いいですね」と答えてしまう。
正直なところ、いまの自分ではちょっと力不足という気持ちがあった。それでも、休養が明けたあとで、同じような話になるかと考えると、ならないかもしれない。生きているなかでこういうことに出会える時期というのは、それはそれで意味がある――そんなことを考えた末、《一年、休んでいる場合じゃない。これで新しい自分ができていくのなら、それが私の宿命だし、宿命に逆らうのはやめようと思ったんです》(『婦人公論』2002年8月7日号)。こうして設立されたのがスポーツマネジメント会社・ライツ(現RIGHTS.)である。
