大学で習う「理想の日常料理」にギモン
――どういうことですか、「キャッチーじゃなかった」とは?
長谷川 栄養学って、トマトを食べたら美肌になります、みたいな簡単な話ではないんですよね。食べ物は薬ではない。継続することで体と心が整っていって、健康が維持増進されるのが食べ物の良さなんだけど、即効性がなくて面白くないじゃないですか、そんな説明。「これ食べたら健康になります!」っていうキャッチーな言葉の方が目立ってしまう。
――わかりやすさみたいな。
長谷川 でも、誠実に栄養学を届けようとすればするほど面白くなくなっていく。きちんと研究した人が誠実に言葉を尽くした発信が、キャッチーな人が言うキャッチーな嘘には勝てないのかもしれないと感じたとき、すごくもどかしさがありました。
自分が正しい栄養学のことを多くの人に広めたいと思うなら、まずはキャッチーな人間にならなくてはならないのかもしれないと気づいて。 それと、教科書等で示される理想の日常料理が今の時代とあっていない部分も多いなと……1970年代の、いわゆる“日本型食生活”が健康にいいですよ、ということを習うんですけど。
――1970年代?
長谷川 1970年代ごろの食生活が健康的なモデルとして紹介されるんです。確かにその考え方自体は理解できます。でも現代の暮らしにおいて、それを誰がどれだけの負担で実現するのかという視点も必要なのではないかと思ったんです。今は1970年じゃないですよね。
それと同時に、調理学で習う“基本のレシピ”や栄養指導のガイドラインについても、誰かがすり減ることを前提にしているように感じるものが少なくありませんでした。
工程の多さもそうですが、家族の栄養を担う役割として作り手に大きな責任を求めるようなことも書いてあって、「そこまで責任を負わせる必要があるのだろうか」と。美味しさも栄養ももちろん大事ですが、食べる側の満足や理想ばかりが優先されて、作る側の負担が置き去りになっている。そのことに強い違和感や怒りがありました。
――レシピが「家族の健康を考える」役目を負わせる。
長谷川 私がやりたかったのは、簡単だけど作ることで気分が上がるレシピを届けること、栄養に関する正しい情報を多くの人に届く形で発信すること、そして「家庭料理はこうあるべき」という従来の基準を今の時代に即したものにすることでした。
この3点を解決できる仕事を考えると、料理研究家になるしかなかったという経緯なんです。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。