当時、長崎市の人口は約24万人。即死者は約3万5000人~4万人、年末までに約7万4000人が亡くなり、重軽傷者も約7万5000人にのぼったと言われている。実に、長崎市民の3分の1が原爆で亡くなった。その後の健康被害も甚大で、多くの人々が生涯にわたって苦しみ、それは現在も続いている。これが、長崎原爆である。
原爆の恐ろしさ、むごさを伝えてくれる「黒本」とは?
だが近年、この歴史的事実をメディアで目にする機会が減ってはいるように筆者は感じる。被爆地の新聞社から配信されるニュースは目に付くものの、全体としては、かつてほど熱心に報じられているとは思い難い。美輪さんのような語り部は減り、また目新しいニュースも見つからないからかもしれない。
報じ方にも変化を感じる。惨状を具体的に、深く伝えるものより、抑えた表現が採られているように思えるのだ。だが原爆は、恐ろしくむごいものであった。なるべく、なまの言葉をそのまま、目新しさがなくても、繰り返し、いつまでも伝えることも大切なことではないだろうか。
今回は、それをよく知らせてくれる存在――通称、「黒本」について、ご紹介したい。筆者が長崎へ赴いたのは、この本を読むためであった。原爆資料館のとなりにある、長崎原爆死没者追悼平和祈念館へ。こちらは、多くの見学者が訪れている資料館に比べるとひと気は多くなく、足を踏み入れると、館内は静寂に包まれていた。奥の書棚に、黒い背表紙が並んでおり、「被爆体験記集」とある。この装丁から、通称「黒本」、なのだ。
「包帯姿の子供たちは、苦しさに転げまわる」黒本に綴られた被爆体験
いまから30年ほど前、1995年(平成7年)、厚生省(当時)が被爆者実態調査を行い、終戦50年を迎える節目に、被爆体験記を一斉に募集した。返送されてきた被爆者たちの手記をまとめた書物なのである。
特徴は、手書きの文章を、そのまま複写・製本していること。詳しくは後段でふれるが、まずは読み進める。ページを繰るたび、加工されていない多くの方々の現実が、紙面に刻みつけられているのが伝わってくる。たとえば、
――当時10代半ばの女性が避難先の学校で見た光景。「ミイラのように」包帯を巻かれた子供たちに、やかんから水を飲ませるおじさん。美輪さんの体験談でもわかるように、被爆直後の人々は、激しく水をほしがった。おじさんが一人ずつに飲ませると、包帯姿の子供たちは、苦しさに転げまわる。1日、2日と経つうちに子どもは一人、二人といなくなり、最後はおじさん一人が残っていた。
――また、当時20代前半女性の記述が目にとまる。怪我をしていないのにわずかにしか息をしていない母を前にしていた。一緒に帰ろう、と言ったら、母はさよなら、と言った。しっかりしなさい、と声をかけると、もう一度、さよなら、と言って、死んだ、と。




