昭和20年8月9日午前11時2分、テニアン島から飛来した爆撃機B-29「ボックス・カー」号から、プルトニウム型原子爆弾・通称「ファットマン」が投下され、さく裂した。

 当時、長崎市の人口は約24万人。即死者は約3万5000人~4万人、年末までに約7万4000人が亡くなり、重軽傷者も約7万5000人にのぼったと言われている。実に、長崎市民の3分の1が原爆で亡くなったのだ。

 長崎、広島の追悼平和祈念館には、被爆者の体験記を集めた黒い背表紙の「被爆体験記集」、通称「黒本」がある。そこには、被爆直後の状況が、多くの方の直筆によって鮮明に記されているという。

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 いったいどのような経緯で黒本が作られたのか。貴重な歴史資料でありながら、なぜその存在が広く認知されていないのか。ノンフィクション作家のフリート横田氏が長崎で取材した。(全2回の2回目/1回目から続く)

被爆者の体験記を集めた被爆体験記集「黒本」(筆者撮影)

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「被爆体験記を集めて保存することとした」黒本はどのような経緯で作られたのか

 原爆投下後50年の時を経ても、被爆直後の状況を、多くの方が鮮明に記していた。通常の爆弾とは違う、原爆特有の症状への恐怖も消えることはなかった。

 強い放射線を浴びたことによる慢性症状の苦しみ、そして子どもの体へ影響が連鎖するのではないかと案じる手記も多い。かたときも消えることのない記憶の記録が続いていく――その数、約8万。この黒本について、もう少し詳しく記したい。

 原爆投下後、約半世紀を経た1994年(平成6年)、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」が公布されたことにはじまる。国は、原爆死没者を慰霊し、永遠の平和を祈念するため、広島と長崎にそれぞれ追悼平和祈念館を建設し、両館に被爆体験記を集めて保存することとした。

 あまり知られていないかもしれないが、国は、被爆後20年が経過した1965年(昭和40年)から、10年ごとに被爆者(被爆者健康手帳を持つ人)の実態調査を行っている。戦後50年にあたる1995年(平成7年)の調査のとき、同梱する形で、被爆者約32万4000人に対し、被爆体験記を募る案内を発送した。

長崎、広島の追悼平和祈念館に保存されている(筆者撮影)

寄せられた体験記を、黒い表紙をつけて製本…約8万人の魂の記録集

 このとき寄せられた体験記を、黒い表紙をつけて製本したために、通称「黒本」なのである。長崎被爆の証言3万1301編、広島被爆4万9651編、両市被爆126編(※)、約8万人の魂の記録集がこのとき成った(※:表紙に「両市被爆」と記載されているが、追悼平和祈念館がデータベースとして登録する際に、体験記から読み取れる情報のみから広島市・長崎市の両市で被爆していると判断したもので、実際の両市被爆者の数ではない)。

 しかし、非常に貴重な歴史資料ではありながら、筆者には課題もあるように思える。