「私たちが一番だ」と本気で思っていた
――北海道での学生生活と東京での芸能活動を両立されていましたが、当時はどのようなスケジュールで毎日を過ごされていたのでしょうか。
MIZUHO 正直、あの頃のことは忙しすぎて、あまり記憶がないんです。デビュー前から毎日のようにスクールへ通ってレッスンをしていたので、その延長線上で芸能活動が仕事になっていったような感覚でした。
北海道に住んで学校に通いながら東京に行き、1時間ごとに次の仕事へ向かうような毎日でした。飛行機が遅れたらどうなっちゃうんだろう? というくらい本当にスケジュールはぎっしりで「よくあんな生活を送っていたな」と自分でも思います。当時はそれが当たり前だと思っていましたが、今振り返ると、本当に濃密な日々でしたね。
――『secret base ~君がくれたもの~』のヒット後は、NHK紅白歌合戦に3年連続で出場し、音楽番組やバラエティー番組への出演も続くなど、まさに休む暇もない毎日だったと思います。それだけ多忙な日々の中、プレッシャーで押しつぶされそうになることはありませんでしたか。
MIZUHO それが全然なくて、プレッシャーで萎縮するというより、「もっと前へ行こう」というタイプでした。
芸能界を離れて初めて、「私は本当にすごい方々とお仕事をご一緒させていただいていたんだ」と気付いたくらいで、『secret base』がヒットした頃は、「レコード大賞は私たちが獲るべきだ!」くらいの勢いでしたし、「私たちが一番だ」と本気で思っていました。これは売れたから天狗になったというわけではなく、昔からそうだったんです。
通っていたダンススクールには年上の方もたくさんいたんですが、高校生のお姉さんが前に出るとなった時には、「こんなおばさんを使うなら私を使ってよ!」なんて言ってしまうくらい。今思うと、本当に私は生意気でした。若さって、本当に怖いですよね。でも、あの頃は、そのくらい負けん気が強くないとやっていけない世界だったとも思います。



