1人で絵本を作れないから、作文教室の先生に相談した
──絵本を作ってから、レモネードスタンドは変わりましたか?
四郎 絵本を作る前も学校の友達やいろんな人が手伝ってくれたけど、絵本を作ったら、ぼくが知らない遠くに住む人から手紙が届いたり、メールをもらったりしました。
母・佳子 初めてレモネードスタンドを開催した時は、同じ病棟で過ごしたお友だちや学校、地域のお友だちやそのご両親、学生さんや小児がん経験者の方など、たくさんの方がお手伝いや支援に来てくれました。
320杯も売れ、売上金は約21万5千円にもなったんです。全額寄付しましたが、「このまま終わるのはもったいない」という話になり、みんなのレモネードの会を立ち上げました。「年に1~2回ぐらいのペースでのんびりやれたらいいよね」と話していたのですが、たくさんのお声がかかるようになり、忙しくなってしまいました。私たちも患児家族なので、無理はできません。他の方法はないかなと考えた時に、絵本を作ったらどうだろうということになったんだよね(と、四郎くんを見るお母さん)。
四郎 はい。でも、ぼくはまだ小学生だし、1人で絵本をつくることはできないので、作文教室の先生に相談したら、先生がぼくの考えたレモンちゃんが登場するお話を作ってくれました。作文はそこまで得意じゃないけど、絵を描くことは好きです。
──キャラクターの「レモンちゃん」のTシャツ、かわいいですね。その絵も四郎くんが描いたもの?
四郎 はい、パソコンで描いてTシャツにしてもらいました。
闘病のシーンを考えるのが大変だった
──絵本を作る時に、大変だったことは何ですか?
四郎 闘病シーンのところを考えるのが大変だったので、お母さんと一緒に考えました。
母・佳子 楽しい絵本にはしたかったのですが、楽しいだけにはしたくなかったので、「ちゃんと闘病で大変だったことも入れよう」と四郎と一緒に考えました。闘病の様子を伝えるページでは、四郎が私と一緒に書いた原稿を使っています。
──〈ずっと おうちに かえれなくて、 ようちえんにも いけなかった〉〈おくすりで かみのけも ぬけちゃった〉。大変だったことが書かれています。
四郎 病気になって、治療で髪の毛が全部抜けたのは悲しかったです。でも楽しかったこともたくさんあって、「点滴ころころ広場」とか「エレベーター早押しゲーム」とか、みんなでいろいろ考えて遊んでいたのは楽しかったです。
──それはどんなゲーム?
四郎 点滴台を持ったまま、ただ走って遊ぶ。速さを競うんじゃなくて、ただ走る。あとは、エレベーターのボタンを早く押すとか、鯉にエサをやるとか、いろいろ楽しかったです。
──「点滴ころころ広場」は絵本の中で、病気の子も元気な子も、一緒に楽しく遊べる場所である「レモネードゆうえんち」にも「レモンわぎりひろば」として登場していますね。この遊園地も四郎くんのアイデアですか?
四郎 「点滴ころころ広場」はぼくが考えたけど、遊園地の乗り物とかは小児がんの友だちやお母さんやお父さんが一緒に考えてくれました。たくさんの人たちが考えてくれて、楽しかった。友だちが言ってくれた意見が、絵本の中で実際に夢のような遊園地になったのを見た時は、すごく嬉しかったです。
母・佳子 この絵本は、突然できたわけではなく、入院生活やその後の治療、レモネードスタンドの活動の積み重ねの中で少しずつ形になったようなものなんです。レモネード遊園地のアトラクションの内容や小児がんについて伝えたいことを、患児や家族に聞いたりして、患児家族でコツコツとまとめました。「それぞれができることを、無理なく、楽しく、コツコツと」が「みんなのレモネードの会」のモットーです。