ついに逮捕へ

 1987年1月、ついにイングンが逮捕される。1987年6月に兄弟福祉院は閉鎖され、収容者とともに多くの子どもたちが解放された。

 しかし、イングンが罪に問われたのは汚職と横領だけで、被害者が受けた暴行や人権侵害については捜査が行われなかった。しかも、拘置所に入れられている間、銭湯やカフェなどへの外出を繰り返していたという。

活動を支援していた大統領

 釜山市長のキム・ジュホは、パク・イングンの釈放運動を始めた。キム市長の背後にいたのが、チョン・ドゥファン大統領である。

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 番組が取材したイングンの末の息子で兄弟福祉院財団の理事を務めるパク・チョングァンの証言によれば、イングンは兄弟福祉院の強制収容について「これは大統領が合意した政府からの命令」だと口にしていたという。チョングァンは次のように言う。

「私の知る限り、チョン・ドゥファン大統領は父に勲章を贈っていた。活動を支援していたんだ」

 イングンは釜山にあったチョン・ドゥファンの別荘に招かれたこともあった。大統領からもらった腕時計を見せれば、交通違反もフリーパスだったという。兄弟福祉院は、軍事政権という強大な権力と癒着していたのだ。

警察が子どもたちを連れ去った理由

 警察の関与も明るみに出た。1986年に強制収容された3975人のうち、警察による連行は3117人、実に80%近くに及ぶ。

 治安を乱した者を署に連行すると警官の評価には2点加点されたが、兄弟福祉院に連行すれば5点加点された。だから警官たちは署ではなく、兄弟福祉院に連行したのだ。

 さらにイングンは警官たちに賄賂を渡していた。収容する人数が増えれば、政府からの助成金が増える。警官は評価が増えて、懐も温まる。兄弟福祉院と警察の利害が一致していたのだ。犠牲になったのは罪のない子どもたちである。