わずか2年半の懲役

 結局7回の裁判の後、イングンに科せられた刑は、わずか2年半の懲役に過ぎなかった。強制収容、監禁、強制労働については無罪となり、暴行と死亡事件について刑事責任が問われることもなかった。刑務所の中でも金の力で自由気ままに振る舞っていたという。

兄弟福祉院事件を扱ったNetflixドキュメンタリー『私は生き延びた 韓国を揺るがせた悲劇の中で』(2025年)

 番組では触れられていないが、イングンが逮捕されて裁判を受けていた時期は、韓国が民主化していく時期とぴったり符合している。

 チョン・ドゥファンの軍事政権は、民主化を求める圧力に直面していたため、組織的に事件の隠蔽と深刻さの軽視を図った。チョン・ドゥファン政権の検察と裁判所への圧力により、このような軽い量刑で済んだのである。

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 釜山市と警察を相手に訴訟を起こそうとした被害者もいたが、市は圧力をかけて訴えを取り下げさせた。皮肉にも1987年6月の民主化の高まりにより、世間の兄弟福祉院への関心は急速に薄れていってしまう(※1)。

裕福な加害者と苦しむ被害者

 1989年に釈放された後、イングンは一族とともにオーストラリアに移住。一族の資産は2011年には360億ウォンと評価された。彼の家族は現在もオーストラリアに140億ウォン規模のゴルフ練習場とスポーツセンターを所有し、裕福な暮らしを送っている。

 一方、被害者は今もなお、苦しい暮らしを送っている者が多い。10代の頃に教育を受ける機会を失い、過酷な暴力を受け続けて、身体と心に大きな傷を負った収容者たちの中には、社会に適応できなくなった人が少なからずいた。政府による補償も支援も一切なかった。