QuizKnockを運営する株式会社batonで会社員として働きつつ、哲学者としても活動を続けている、田村正資さん。5月に3冊目の自著『思考のストレッチ』(講談社)を刊行した。

  “誰かが考えた「正解」もいいけど、自分だけの「?」を探す贅沢な遠回り。”と銘打たれた同著には、田村さんが様々なモチーフをもとに思考を広げ、深めていく様子が記録されている。

 今回のインタビューでは、田村さんが専門としている「現象学」や、哲学者・メルロ゠ポンティの話を入口に、白黒つけがちであったり、主語が大きくなりがちな今の社会をどう見ているのか、話を伺った。(全3回の3回目/最初から読む

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田村正資さん ©佐藤亘/文藝春秋

メルロ゠ポンティは生活の中で哲学をすることを教えてくれた

――田村さんの専門である現象学について、本の中で「自分と世界の間に生じる経験を対象にした学問」と書かれていたかと思うんですが、哲学の中でも現象学を突き詰めていくと決めたのにはどんな理由があったんですか?

田村 分野として人に言うなら現象学という形になるんですが、メルロ゠ポンティという人の考え方が面白そうだと思ったのが理由ですね。生活の中で哲学をするという1つのスタイルを僕に教えてくれたのがメルロ゠ポンティなんです。自分の意識だけではなく、身体や歴史まで含めた形で自分と世界の間に生じる経験を考えるのが面白いなと思いました。

――哲学は様々なことを扱っていて、自分の内面を突き詰めていく学問でもあるかと思うのですが、現象学はそれよりも外に対して開かれているイメージを持ちました。

田村 僕が現象学的なもの、とりわけメルロ゠ポンティに興味を持った理由のひとつが、「自分も世界も確固たるものではなく、曖昧なものである」という考え方でした。

 ふだん、自分と世界との境界ははっきりしたものだと僕たちは思っています。皮膚で自分と世界の境界は区切られているし、自分がどんな人間かもわかっているつもり。でも、どこからが自分と他人の違っているところで、自分にはどんな癖や習慣があるのか、みたいなことって実は全然わかっていない。人に言われてはじめて、自分の在り方を理解するようなことだってたくさんあります。

 世界の側も、物理的には確固たるものとして決まっているように思えますが、だからといって物理的な解明が世界の在り方を理解したことになるかというと心許ない。それがなんであるか、ということは、僕ら人間との関わりではじめて決まってくる部分がある。

 例えばここにあるペットボトルのお茶は、仮に生き物がいなくなっても、それ自体で「喉のかわきを癒やすもの」という特徴を持っているでしょうか? その意味には、僕との関わりで決まってくる部分がある。この机も、平均身長の高い人たちからしたら、座りたくなるものに見えてくるのかもしれない。「それは机だから座っちゃダメだよ」と言うのは、ルールとしては合っているけど、その人たちにとっては椅子のようなものなんですよね。世界の側に「これは椅子で、これは机だ」というルールが書き込まれているわけではない。だとしたら、世界のなかにある確固たる部分と、僕たちの関わりのなかで流動的な部分っていうのはもっと細かく考えていったほうがいい。

 僕が哲学を学ぶなかで面白いし重要だなと思ったのは、このように「世界も自分たちも曖昧さをはらんでいる」ということなんです。でも、その曖昧さはふだんあんまり表に出てこない。例えば僕が「この映画面白いな」とか「こいつ嫌だな」とか思ったことは確かなことなんですよ。でも、その確かなことが、自分でもよくわかっていない曖昧な背景の上に浮かび上がってきているという構造があるんです。