白黒はっきりさせずに人と関わること

――『思考のストレッチ』の「はじめに」で、「この世界が私にとって生きるに値するものだということを確認する試み」と書かれていたのが印象的だったんですが、「この世界は生きるに値するのか」という問いはどのように立てたんですか?

田村 僕らって「テストで何点取れますか?」とか、「売り上げどれくらい出せますか?」とか、「インプレッションどれくらい稼げますか?」といった言葉でジャッジされ続けていて、それはつまり「お前はこの社会で生きるに値する人間なのか」ということを常に証明するよう、プレッシャーをかけられているということだと思うんです。

 でも、なんでそれを当たり前にしなきゃいけないのかなっていう疑問があって。僕は、自己満足でいいじゃんって言える領域をそれぞれの人が持てることが大事だと思っているので、逆張りしてみた感じですね。もっと主語を大きくするなら、例えばこの国の制度や社会が、僕らにそんなことを要求するに値するようなものなんですか? という風に考え直してもいいんじゃないかとも思います。

ADVERTISEMENT

©佐藤亘/文藝春秋

――本の中では「あいまい」という言葉がすごく出てきますが、現代においては曖昧さが許されず、みんな白黒つけたがりがちな部分があり、それによって分断が生まれているような気がしているんですが、この状態を田村さんはどのように見られてますか?

田村 僕自身が、物事をはっきりさせて白黒つけることに興味をそんなに持てないんですよね。SNSで誰かがぽろっと言ったことについて、全員で細かく精査して、正しいか間違っているかを見ていくって、知的な労力のかけ方としてあまりにもおかしくないか、というか。

 例えば、自分の好きなものをつまらないと言われても、それを許せない世界じゃいけないと思うんです。白黒はっきりさせよう、という態度は、いまここにいるみんなが同じにならなきゃいけないっていうメッセージを内に秘めています。賛成なのか反対なのかはっきりしろみたいなのって、言い方を変えれば「お前は私と同じか?」という質問なんですよね。

 でも、みんな同じではないという前提で、社会をより良くするためにはどういう方向に調整していけるといいのかとか、ある人にとっては嫌いなものが増えていくかもしれないけど、別の意味では過ごしやすくなるんじゃないかとか、そういう語り方ができないといけない。そんな中で白か黒かをひたすら問い続けることは、「お前は私と同じなのか、それとも違うのか」という問いかけにしかならないので、単純にナンセンスだなと思います。