「こういう風に、今になっていろんなことがわかってきてね。資料を請求したり、自分で調べてみたりして。原爆資料館(広島平和記念資料館)の地下で、母の兄の手記を見つけたんですよ。すでにがんで亡くなってるんだけど、奥さんが健在だからコピーを送ってあげたりして。ジグソーパズルですよ。ピースが見つかって、あてはめて、知らなかったことが見えてきた……こうしてインタビューを受けるうちに、関心をもって考える機会も増えたからね」
阿部さんは、家族の「原爆体験」を掘り起こす中で、被爆二世としてのアイデンティティを強めていったようだ。
「アメリカに対して怒らにゃいけんのだ、って、中沢啓治先生と同じ気持ちですよ」
そして、「日本も憎いですよ。戦争を起こす者への怒りがある」と、力を込めるようにして続けた。
真実を知るためには、モルモットになっても構わない
阿部さんは小学生の時以来、ABCCや放影研の検査は受けていない。連絡もないそうだ。再び放影研から依頼があれば、どうするのだろう。彼は迷わず、「いつでも行きますよ」と答えてくれた。
「真実が知りたいじゃないですか。モルモットになっても構いません、それが役に立つのなら」
阿部さんの中で起きた変化と、変わらない部分が、カルテ越しに浮かび上がってきた。
詳しくは後述するが、放影研では現在も被爆二世への調査が続けられている。協力を続ける被爆二世のうちの1人に聞くと、「何かお役に立てるのなら」と、阿部さんと同じことを言っていた。
「モルモット扱いだ」と言って拒絶する人もいれば、彼らのように、自分の役割だと感じて積極的に応じる人もいる。「自分の健康状態を把握するため」に通う人もおり、調査に対する考え方をめぐっても、その捉え方は千差万別だ。
共通していることがあるとすれば、「結論」の出ない問いの前に立たされていることだろう。そして、1人の人間の中でも、それぞれのルーツをたどる旅があり、時とともに移ろう心の変遷がある。
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