被爆者の子どもを表す言葉、「被爆二世」。親の戦争体験を語り継ぐ平和運動の担い手というポジティブな文脈で登場することが多い一方、当事者の遺伝的影響や健康問題、差別への苦しみなどには光が当てられてこなかった。 なぜ被爆者の子どもについて語ることが“タブー視”されてきたのか?

 ジャーナリスト・小山美砂氏の著書『ルポ 被爆二世』(集英社新書)より一部を抜粋・再編集して、広島で被爆した切明千枝子さんが、子どもを「うまない」決断をしていた背景を紹介する。(全4回の4回目/1回目から読む)

写真はイメージ ©graphica/イメージマート

◆◆◆

ADVERTISEMENT

「障害のある子がうまれるのではないか」子どもをもたない前提で結婚

 早志さんとは対照的に、「うまない」決断をしていた人もいる。同じく広島の被爆者である切明千枝子さんだ。夫も被爆者だったので、2人は子どもをもたない前提で結婚した。

「障害のある子がうまれるのではないか」──そう恐れて結んだ約束だった。

 結婚から7年後、近所の医師は切明さんにこう問うた。

「あんたたちは子どもを意識的につくらんのか、それともほしくてできんのか、どっちじゃ」

 単刀直入な問いかけだったが、切明さんは率直にこう答えた。

「あんたたち、なんちゅうことを言うんじゃ」医師は猛烈に怒り出し…

「2人とも被爆者で、障害のある子がうまれると怖いから、つくらないことにしたんです」

 すると、医師は猛烈に怒り出した。

「あんたたち、なんちゅうことを言うんじゃ。障害者を差別する心が内にあるから、そんなことを思うんじゃろう」

 頭をガン、と殴られたような衝撃でございました──当時の気持ちを、切明さんはそう振り返る。心の奥底にあった差別心を見つけられた、と感じたのだ。