「障害があろうがなかろうが、わが子はわが子じゃ」医師からの人生を変える一言

 医師は続けた。

「障害があろうがなかろうが、わが子はわが子じゃ。それをいつくしんで育てるのが命をつなぐ、ということじゃないんか。どんなに重い障害のある子がうまれようと、命の大切さに違いはない」

 人生を変える一言だった。

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 夫婦の約束は取りやめた。心の底では、子どもがほしいと願っていたのだろう。迷いや悩みは消え、1男1女を授かった。「本当は大家族に憧れていた」が、その後、子宮と卵巣を患って摘出し、その願いを叶えることはできなかった。

 しかし、今は5人の孫に加えてひ孫もいるという。「ひいおばあちゃん」になった切明さんは、しみじみ、その幸せをかみしめる。

「ひ孫の幼い顔を見ていると、命をつなぐとはこういうことか、と思うんですね。孫の結婚式に参列した時にも、先生の言葉を思い出しながら涙しました。あの言葉がなければ彼らにも会えなかっただろうと思うと、感謝の気持ちでいっぱいなんです」

写真はイメージ ©graphica/イメージマート

80歳を越えてから本格的に証言活動を始めたワケ

 切明さんは原爆が投下された当時、高等女学校に通う15歳だった。爆心地から約1.9キロ離れた場所で被爆。広島市中心部で建物疎開の作業に動員されていた大勢の下級生を見送った。生きたかったに違いない彼女たち、そして次世代のために、80歳を越えてから本格的に証言活動を始めた。

 歌人でもある切明さんは2024年8月、歌集『ひろしまを想う』(レタープレス)を出版した。編者は証言を聞き取り続けてきた大学院生の佐藤優さんで、戦中の生活、原爆、そして戦後の営みについて詠んだ500首を収録。切明さんはあとがきで、「人間の命に上下はない」という医師の言葉を紹介した。

 94歳で出した初めての歌集に、こんな思いを込めている。