男性同士のキスを画面いっぱいに捉えた本作は、ターナー賞(イギリスの若手に与えられる現代美術の賞)を写真家で初めて受賞したヴォルフガング・ティルマンス(1968―)によるものです。彼はドイツ出身で、主にドイツとイギリスで活動。YBA(ヤング・ブリティッシュ・アーティストの略)という1980年代後半のイギリスで活躍を始めた、若者文化を取り入れ、ちょっとした悪ふざけも織り込む面白い作家たちの一人でもあります。

 ティルマンスの作品の特徴は、一枚一枚の写真は何気なく撮ったカジュアルな印象でありながら、実は入念な考えに基づいて撮影され、展示されているところにあります。

 タイトルの「ザ・コック」はロンドンのLGBTが集まるクラブでのイベント名です。クリムトの「接吻」、写真ではドアノーの「パリ市庁舎前のキス」など、本作以前にもキスというテーマは様々な作品で表現されてきました。本作と既存作との大きな違いは男性同士というところにあります。当時のイギリスではまだ同性婚は認められていませんでした。そんな中、この写真は愛し合う二人を当たり前のように捉えたからこそ、人々に強い感銘を引き起こしました。「キス」を扱った芸術作品の歴史に新しい一ページを加えたのです。

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ヴォルフガング・ティルマンス「ザ・コック(キス)」 2002年 発色現像方式印画・紙 テート美術館蔵「テート美術館―YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」図録より引用

 しかし、ティルマンスはそのような意味に回収されて終わる作家ではありません。もう一つの彼のユニークさは、革新的な展示の仕方にあります。彼は作品を意図的にいろんなサイズにし、額装したり、ピンで留めたり、テープで留めるなどして、一見ランダムに感じる形で展示します。それはヒエラルキーのないフラットな展示法であり、作品同士が響きあって星図のような働きを見せるのです。

 今回のYBA展では本作の隣に、風景に抽象的な模様(現像の段階で操作して加えている)が重なった「あなたを忘れたくない」という作品が大きなサイズで配置されています。液が作り出す曲線が寄り添い、互いに溶け合っていくところに、不思議ななまめかしさが感じられるのではないでしょうか。こうして並べて見ると、ぎゅっと近づく生命力のようなものがどちらにも感じられます。すると、この男性二人の愛は特殊なものではなく、普遍的なものなのだと思えてきます。

ヴォルフガング・ティルマンス「あなたを忘れたくない」
「テート美術館―YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」図録より引用

 美術批評家の清水穣は、ティルマンスは「等価性」の原理で表現していると洞察しています。ティルマンスはすべてのものを初めて接するかのように見ようとし、あらゆるものの表面に漲る魅力を示すことで、差異を際立たせるのではなく、ものごとの境界の曖昧さを仄めかす手法をとります。そうして何気ない事物でさえも、すべてに等しく価値があることを見せてくれるのです。

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「テート美術館―YBA & BEYOND 世界を変えた90s 英国アート」
京都市京セラ美術館にて9月6日まで
https://www.ybabeyond.jp/

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