強制抑留者への支援の条件は「日本国籍」で呉さんは対象外。しかし…

 戦後10年ほど経った頃、呉さんは抑留者の団体に加入し、日本政府へ補償を請求する手続きに参加した。

 しかしこの活動の成果が出るのは終戦から数十年が経ってからだった。

 終戦から60年以上が経った2007年、戦後強制抑留者に10万円相当の旅行券などを贈る特別慰労品の贈呈が始まり、その後に一時金を支給するシベリア特措法も施行された。しかしそのどちらも日本国籍が条件で、呉さんは対象外だった。

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 この件について呉さんは、意外な感想を口にしたという。

「呉さんが怒っていたのは、自分がもらえないことではなく、補償の額が少なすぎることでした。自分が日本国籍ではないからもらえなかった、という不平は口にしませんでした。呉さんは自分のことを日本人だと思っていて、日本政府を批判したくないという気持ちがあるんです。正直に言うと、私が想像していた答えとは全然違うものでした」

許明淳監督

 額が増えても呉さんが支給金を受け取れるわけではない。それでも数年にわたる強制労働に対して数十万円という額は少なすぎる、と主張する心中はどのようなものだったのだろうか。

 呉さんは、自分が志願して入隊したことやソ連に抑留されたことについても「自分が愚かだったからだ」と考えている。大東亜戦争を始めた日本政府を正しいと信じ込んで入隊し、日本の勝利を信じたことを自身の責任だと感じているのだ。

解放され、船で辿り着いた舞鶴の港を再訪する呉さん ©多面向影像工作室

 その話を聞く中で、許監督自身は違和感をぬぐえなかったという。

「私自身は、抑留の補償対象から非日本籍の人を外したことを不公平だと思っています。呉さんのように、植民地の出身だけど日本兵として戦った人たちがいる。朝鮮出身の人たちもそうです。日本人として日本のために戦って、捕虜になって、抑留されて帰ってきた。その人たちを戦後に制度から外すというのは、不公平としか言いようがない。お金を受け取れるかどうか以上に、彼らを歴史から消してしまうことが納得できませんでした。それでもこれは呉さんの考えではありません。私自身の感じ方です」