今大会でも優勝候補の一角として注目を集める横浜高校。その強さの源流をたどると、1998年に松坂大輔を擁して春夏連覇を成し遂げた、渡辺元智のチームビルディングへ行き着く。あの横浜は、史上屈指の怪物が一人で勝たせたチームではない。
春と夏のPL学園戦、延長17回翌日の明徳義塾戦、そして決勝のノーヒットノーランと、異なる展開の試合をすべて勝ち切った背景には、松坂の才能を組織の力へ変えた渡辺と、名参謀・小倉清一郎の存在があった。史上最強と呼ばれた横浜は、どのようにして作られたのか。圧倒的な個を生かしながら、甲子園で勝てる集団を築いた名将のチームビルディング術を読み解いていく。
伝説は、松坂大輔だけでは完結しない
1998年の横浜高校を語る時、多くの人はまず松坂大輔の名前を挙げる。それは当然だ。夏の甲子園準々決勝ではPL学園を相手に延長17回、3時間37分、250球を投げ抜き、決勝では京都成章を相手にノーヒットノーランで締めた。高校野球史において、ここまで物語性と実力が一致したエースはそう多くない。夏のPL学園戦は9-7、決勝の京都成章戦は3-0。どちらも松坂大輔の存在を神話化するには十分すぎる試合だった。
ただ、1998年の横浜高校を「松坂がいたから勝った」で終わらせると、あのチームの本質を見誤る。松坂大輔という怪物を擁していたことは最大の強みだったが、その怪物をどう使い、どう守り、どうチーム全体の勝利構造に組み込んだのか。そこに渡辺元智という名監督の凄みがあった。
渡辺の横浜は、単なるエース依存のチームではない。エースで勝つべき試合はエースで勝ち、総力戦に持ち込まれた試合では全員で耐え、終盤勝負では相手の隙を逃さない。つまり、松坂という圧倒的な個を持ちながら、勝ち方はむしろ非常に組織的だった。
松坂がいるから、全部を松坂に任せる。普通ならそうなりやすい。むしろ高校野球では、絶対的エースがいるチームほど、戦い方が単線化する。ところが1998年の横浜は違った。松坂を中心にしながらも、小山良男、後藤武敏、小池正晃、松本勉、常盤良太ら、各選手が試合の局面ごとに意味を持っていた。
この「怪物を中心に据えながら、怪物だけにしない」設計こそ、渡辺野球の到達点だった。
