明徳義塾戦で見せた底力、そして…

 1998年夏の横浜を考える時、PL学園戦と決勝のノーヒットノーランに注目が集まりやすい。だが、チームの底力という意味では、準決勝の明徳義塾戦も外せない。

 横浜は明徳義塾に対して、8回表終了時点で0-6と追い込まれた。普通なら、延長17回を戦った翌日の試合で、ここまで点差が開けば終わっていてもおかしくない。しかし横浜は8回裏に4点、9回裏に3点を奪い、7-6でサヨナラ勝ちを収めた。

 この試合は、渡辺野球のもう一つの顔を表している。松坂が先発しなくても、試合が壊れかけても、最後まで諦めない。しかも、それは単なる精神論ではない。打線のつながり、代打・継投・ベンチワーク、相手への圧力。そうした要素が終盤に一気に噴き出した。

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 PL戦で松坂が伝説になり、明徳義塾戦でチームが伝説になった。この二つを分けて考えると、1998年横浜の輪郭がよりはっきり見える。

第80回全国高校野球選手権大会の決勝でノーヒットノーランを記録した松坂大輔 ©時事通信社

 そして決勝の京都成章戦。松坂大輔は3-0でノーヒットノーランを達成し、横浜は春夏連覇を成し遂げた。夏の甲子園決勝という最高の舞台で、しかもPL戦、明徳義塾戦という極限の2試合を経た後に、最後をノーヒットノーランで締める。これは単なる好投ではなく、物語としてあまりにも完成されていた。

 ただし、この決勝を「松坂の超人的能力」だけで片づけるのも惜しい。渡辺は、松坂を信じ切った。チームも松坂を信じ切った。そして松坂自身も、ここまで積み上げてきたチームの勝ち方を背負ってマウンドに上がった。

 ノーヒットノーランは、個人記録である。しかし、1998年横浜の決勝ノーヒットノーランは、個人記録でありながら、チーム史そのものだった。