もう一人の監督

 当時の横浜高校の監督、渡辺元智を語るうえで欠かせないのが、小倉清一郎の存在である。小倉は横浜高校野球部の部長として渡辺を支え、1998年の春夏連覇を含む甲子園優勝に大きく関わった“名参謀”として知られる。

 渡辺・小倉体制の強みは、入学後の育成だけでなくスカウティングの段階から一貫していた点にある。小倉は、投手と遊撃手を重視して選手を獲得し、そこからコンバートを含めてチームを作っていく明確な考え方を持っていた。

 野球において、投手と遊撃手には身体能力や野球センスの高い選手が集まりやすい。だから、投手10人、遊撃手10人を獲得し、チーム全体のポジションバランスを見ながら育てていく。さらに現代では、捕手も複数人必要になる。捕手の育成がチームの土台を左右するからだ。

ADVERTISEMENT

 打者を見る基準は、強肩、俊足、振る力。投手を見る基準は、130キロを超える球速、あるいは決め球となる変化球。分かりやすいようでいて、非常に本質的である。高校で伸びる選手は、完成度だけでなく、武器の強さが重要になる。

 また、小倉は「野球観戦ができる選手」が伸びるとも見ていた。これは深い。野球を見るのが好きな選手は、プレーを自分ごととして吸収できる。努力している選手は強いが、夢中になっている選手はもっと強い。努力では、夢中に勝てない。横浜の育成には、その感覚があった。

 渡辺がチーム全体の方向性や勝負どころの決断を担う「現場の熱量」だとすれば、小倉は相手校の研究や戦術面の裏付けを支える「分析の頭脳」だった。この両輪が完璧に噛み合っていたことこそが、横浜の見逃せないポイントだ。松坂という圧倒的な才能がいるチームでありながら、横浜は準備を怠らなかった。

 そんな松坂に対し、小倉は 「サボりのマツ」「一番風呂のマツ」と呼んでからかっていた。「下級生時代は練習嫌いでね。3年生になっても、練習をあがるのが早いんだ。おれが戻ってくると、もう風呂から出てきやがる」。本人に聞くと、「寮の風呂で小倉コーチと一緒になると、ストレッチさせられたりして長くなるから、先に入っちゃうんです」と屈託なく笑っていた。

 だからこそ、渡辺・小倉体制の横浜は、単純な力勝負ではなく、情報戦でも勝つ必要があった。高校野球において「参謀」の存在がここまで語られるチームは多くない。1998年の横浜は、名将と名参謀、怪物と周囲の選手たちが噛み合った、極めて完成度の高い組織だった。