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「俺らにできること何もないけど、何かあったら言ってよ」
「また来てよ」
それだけのやりとりだった。知らないうちにお互いが涙を流していた。
「みんなでできるだけ拓也の側にいよう」
仲間は「みんなでできるだけ拓也の側にいよう」と話し合った。その後、二日か三日に一回の頻度で、ビールを買って松永の家に行った。土屋たちは「いつもの感じで話そう」と思いつつ、出来るだけ聞き役になろうと心がけた。ゴールデンウィーク前には、家の近くの食堂に集まり、「外に出られてよかったな」と語り合った。
土屋たちは仕事も家庭もあったが、松永宅を訪問し続けた。彼らは多くを語らず、無心で松永の散歩に付き合った。事故現場に続く道に出くわすと、松永は率直に「ここは通りたくない」と言い、土屋たちも「じゃあやめようか」と受け止めた。そんな本音のやりとりができる仲間たちだった。
松永は少しずつ笑顔を見せるようになった。徐々に訪れる回数は減っていったが、一〇月には豊島区の雑司ヶ谷鬼子母神のお祭り、御会式に行くまでになった。