「なんで注射をくれないのよ、痛いって言っているのに!」と大暴れ
――お母さんはどのような反応だったのですか。
おおたわ 彼女にとっては命の水ですから、もう大暴れですよ。「なんで注射をくれないのよ、痛いって言っているのに!」とおもちゃを取り上げられた子どものように騒いだかと思えば、今度はか細い声で「ねぇ史絵、ママ具合が悪くてどうしようもないよ、痛いよ、辛いよ、注射をちょうだい」と私に取り入ろうともしました。
母が落ち着いている時間に「パパが死んで薬が手に入らなくなったらどうするの」と聞いたことがあるのですが、母は「その時は死ねばいい」と答えたんです。それくらい彼女の中では、薬のない人生は考えられなかったのだと思います。
――お母さんを治療に繋げようと試みたこともあったのでしょうか。
おおたわ いくら制止しても激しく抵抗するため、半ば強制的に入院させたこともあります。依存症は精神科領域の病であるため、当時は統合失調症やうつ病の人たちと同じ閉鎖病棟に入れられたんですね。
今では、依存症にはグループセラピーが一番の治療であることがわかっていますし、閉じ込めたところで治るわけがないこともわかっていますが、当時はまだ平成にもなっていませんでしたから、そもそも依存症患者を診てくれる病院はほとんどなかったんです。母の入院も、大学病院に無理矢理頼み込んでようやく入れてもらうことができました。
2週間ほど隔離入院している間、当然薬を打つことはできませんから病院側から「はい、じゃあ2週間薬を断つことができたのでもう退院でいいでしょう」と言われてしまい、あっさり退院になったんです。
落胆続きの人生で、これ以上落胆しようがないところまで落ちていた
――お母さんの状態は良くなったのでしょうか。
おおたわ 一定期間隔離しただけで本質は何も変わっていませんから、治るわけがないんですよね。帰宅する車の中で母は「あんなところに私を押し込めて、精神病扱いしてひどいじゃない!」と怒鳴り散らしていましたし、すぐにまた注射を欲しがってそこらじゅうのものを投げて壊し、荒れに荒れました。
――診てくれる病院もなく、入院もダメだったとなるとご家族の落胆も大きかったのでは。
おおたわ 落胆続きの人生で、これ以上落胆しようがないところまで落ちていましたね。何百回と裏切られるともう傷付きようもないし、期待もしなくなってしまって。
大学生の頃からは「我が家は死んだもの勝ちだな」と思うようになりました。先に死んだ人が一番先に楽になれる。長生きしたいという願望は全くありませんでしたし、「死ねば楽になれる」と思って生きてきました。

