母親から「早く死ね」と言われるように…

――当時は、お母さんとどのような関係性だったのでしょうか。

おおたわ 顔を見る度に「早く死ね」と言われていました。私が薬物のことを良く思っていないと気付いているので、気まずかったのでしょう。

 父は「娘にそんなことを言うもんじゃない」とたしなめていましたが、私は自尊心が地の底まで落ちていたので、母に「死ね」と言われても「また言ってるな」と思うくらいで、すでに落ち込みもしませんでした。

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――ご結婚されてから、ご家族との関係性はどのように変わりましたか。

おおたわ 物理的に離れることができたので、楽にはなりました。研修医時代から一人暮らしをしていましたが、結婚したことで「自分は独立した家族を持っている」という言い訳が立ち、自然と母たちのことを視野から外せるようになったんです。

 でも、根源にある問題は何ひとつ解決していなかったので、父に押し付けただけ、父が1人で苦しんでいただけでした。本当にかわいそうなことをしてしまったと思います。

結婚式での親子スリーショット(本人提供)

「ママがもう限界だ」父からSOSの電話

――パートナーはご家庭のことを知っているのでしょうか。

おおたわ 知っています。一般的には引かれるような話だと思いますが、夫は変に構えず、普通の出来事のように接してくれました。「介入して良くしよう」という風に背負い込もうとせず、いい距離感を持ってくれるような人ですね。

 私が落ち込んでいる時はそのまま泣かせておいてくれるので助かっています。おそらく、相手が彼じゃなければやってこれなかったと思いますし、彼がいたことで救われました。

――結婚して数年後、お父さんからSOSの連絡があったそうですね。

おおたわ 父から電話があり、弱々しい声で「ママがもう限界だ」と言っていました。その頃の母は薬の量がどんどん増えて、日に4本も5本もオピオイドを打つような状態だったそうです。父が薬を渡すのを拒むと、執拗に薬をせがみ、大騒ぎし、しまいには父を突き飛ばしたり手をあげたりするようになっていました。

 当時、父は70代で母は60代。腕力でも10歳年下の母に敵わなくなっていたのです。「さすがにもう目を背けてはいられない、本気で向き合わなきゃいけない」と現実に引き戻されたような思いでした。