「止め足」とは追っ手の追跡に気づいたヒグマが、追跡を振り切るために自分の足跡にほどこす“偽装工作”のことだ。例えば自分の歩いてきた跡を崩さないようにそっと後戻りし、横跳びして待ち構え、追跡してきた人間の背後を取る。あるいは、あたり一帯に足跡をつけまくり、どれが一番新しい足跡かわからなくしたうえで、跳躍力を活かして足跡のつかない草の上などに跳び、足跡を“消す”こともやってのける。

写真=iStock.com/kimonofish ※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kimonofish

この「止め足」に引っかかると、追っ手は待ち伏せしていたヒグマに気づかずに反撃されて命を落とすこともある。つまり勢子にはそれだけのリスクがあるのだが、小野田はいつも勢子を自ら買って出る男だった。小柄で細身、山の木々の間を水のようにすり抜け、爆竹ひとつで巨獣を追い立てる。実際、ヒグマを追わせたら、彼の右に出る者はいなかった。

敷かれたヒグマ包囲網

今朝も誰よりも早く昨日の目撃現場に入り、周辺の下調べをしていたのだろう。

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小野田との電話を終えた赤石を助手席に乗せて、私はハイラックスのハンドルを握って、集合場所へと向かう。

※編集部註:著者の藤本靖さんのこと。当時運転手として赤石さんらの巻き狩りに参加していた。

根室海峡の空は黒から濃紺へとわずかに色を変え、晩秋の薄明かりが、東の地平を微かに染め始めている。

赤石は頭の中で今日の配置の算段をつけているのだろう。個々の射撃の腕前や経験値を考慮し、それぞれを最適な待ち場へ送る必要があるのだ。

町道に差しかかると、遠くにヘッドライトが揺れていた。私はハイラックスを、道路脇でヘッドライトを点けている車のそばに滑り込ませた。やはり小野田の車だった。

小野田と話しているうちに、今日の巻き狩りのメンバーが続々と集まってくる。仕切り役の斉藤がメンバーたちに次々と指示を出し、それぞれが散っていく。2人でペアを組み、ヒグマを逃さないよう広い輪で山を囲むような布陣を敷く。

小野田が見つけた新しい足跡は、昨日とは反対側――すなわち忠類川沿いの木立へ向かっていた。ササの上に雪がかぶさり、白一色の世界の中で、ヒグマの通った筋だけがササの葉を押し分けて現れ、森の中へまっすぐ延びている。