――怖いもの知らずだった?

酒井 何かやるときは清水の舞台から飛び降りるぐらいの恐怖心があります。でも「行け!」って思ったら飛べるタイプみたいで、何も気にせず突き進むというよりは、怖い怖いと思いながらも「飛ばなきゃ」と思って飛ぶ。度胸はあるタイプだと思いますね。

――成功の戦略を立てるくらいにはグラビアの仕事を好きになっていったのですか?

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酒井 それはほとんど変わらなかったですね。悩みを話せる友達もいなくてどんどん閉じこもっていきました。大きな胸がコンプレックスだったので、毎日水着を着て肌を見せる仕事に「私は何をやってるんだろう」と、よく泣いていました。

 

――それでも3年間ほど、まさに最前線で活動されていました。

酒井 10代はずっと泣いていましたけど、芸能界を辞めるという選択肢はありませんでした。絶対に女優になると決めていたので。

グラビアのヒエラルキーは低かった

――20歳くらいから実際にドラマのお仕事が増え、『池袋ウエストゲートパーク』や『木更津キャッツアイ』などに出演しています。

酒井 当時の流れとしては、まずグラビアのトップになるとバラエティに出る権利をもらえて、そしてバラエティタレントとして名を上げたら、やっと女優に参加できるチケットをもらえる、という感じでした。そのステップを飛ばしてグラビアからいきなり女優になった人は私以外にいなかったので、かなりイレギュラーな存在だったと思います。

最新写真集は台湾で撮影された 撮影:佐内正史/写真集『ぴこぴこ。』より

――普通なら長い道のりだったんですね。

酒井 90年代後半から2000年代前半はグラビア全盛期と言われますけど、グラビアという職業は芸能界のヒエラルキー的には低いところに位置していたんです。

 当時はバラエティのひな壇に「グラドル枠」が1席だけありました。でも1席しかないので、その席のために争いが行われるわけで。それが私はすごく嫌でした。