小鳥狩りの最中に立ち寄った農家で一人留守番中の農婦を襲い、駆けつけた夫の腕を斬り落とした浜松藩主・井上正甫。事件は示談で隠蔽されたかに思われたが、醜聞は江戸中に知れ渡り「強姦大名」と嘲笑されるハメに——。奏者番を免ぜられ左遷された愚鈍な藩主と、その裏で暗躍した「出世城」の男たち、そして思わぬ結末とは? 歴史作家の河合敦氏の新刊『日本史人物 死ぬほど痛いかすり傷』(三笠書房)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目)

写真はイメージ ©getty

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強姦大名のその後

 だが、これだけの騒ぎゆえ、千駄ヶ谷村の住人や高遠藩士たちも、薄々状況は知っていた。

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「大名が農婦を強姦しようとした」という前代未聞の珍事件を、面白く思う者たちもいたろうから、噂が広まらないはずはなかった。

 いつしか正甫の不始末は世間に知られ、正甫が江戸城に登城してくると、たまり場にたむろうガラの悪い他家の中間(奉公人)や6尺(雑用人夫)たちが、「いよ、密夫大名! 強淫大名!」などと正甫一行に向かって呼びかけ、馬鹿にしてゲラゲラ笑うようになった。こうなってくると、さすがに江戸幕府も何もしないわけにはいかず、同年12月、正甫は奏者番を罷免されて差控となった。

 さらに翌年9月、浜松から左遷地として有名な奥州の棚倉(福島県)へ移封されてしまった。無念だったのだろう。正甫は病気と称し、一度も棚倉へは下らなかった。

 いずれにせよ、これを知った庶民は、「色でしくじりゃ 井上さまよ やるぞ奥州の棚倉へ」という戯れ歌をうたったという。