日本人好みの「絆」のストーリーと、ほころび
従来の大相撲のイメージは、郷土色と苦労がにじむ演歌的な世界での、地方から出てきた者たちによる出世物語であったろう。そういえば今年2月に週刊文春が公開した、春日野親方が八百長問題について語るテープにこうある。《(相撲界は)学校に行けない、家に金もない、体大きくて、そういう奴らの集まりじゃないか、ハッキリ言って》(注3)。そうした世界にあって、若貴兄弟は異質の、都会の匂いのする若者であった。
「お兄ちゃん」の愛称で親しまれる兄・若乃花と、対照的にストイックで無口な弟・貴乃花。ひとつ違いのふたりが、父親が親方の部屋に入門するのは昭和の終わり、1988年のこと。後に母・憲子は、兄は弟を「横綱にするために相撲界に入ってくれた、私はいまでもそう思っているんです」(注4)と語り、弟嫁の景子も「『自分がここまで来られたのは、兄貴がいたからだと思う』という言葉を聞いたことがあります」(注5)とふり返っている。
体躯に恵まれないながらも、弟のためにと捨て石として相撲界に入る。そんな兄の支えもあってスター街道をゆく弟。日本人好みの「絆」のストーリーである。しかし、いつしか不仲が報じられるようになる。とはいえである。兄弟であろうとも、自分の家族をもてば疎遠になろうし、そもそもいい歳になれば齟齬も生まれよう。ひとの成熟とはそういうものだ。
「相撲部屋は大きな家族です」
相撲界の頂点にふたりが立つ一家、その様相も若乃花の現役引退(00年)を機に一気に変わっていく。若乃花は、引退後に年寄「藤島」を襲名するも間もなく、日本相撲協会を退職。翌年「相撲部屋は大きな家族です」(注6)と語っていた憲子は離婚し、部屋も離れる。03年、貴乃花引退。そして05年、父が亡くなると年寄株をめぐって兄弟の争いが起き、ふたりは絶縁する。弟から「花田勝さん」呼ばわりされるようになった兄は、美恵子夫人とも長い別居のすえ、07年に離婚にいたる。