オーディション落選の5人で結成された「モーニング娘。」
しかし、結果は安倍も飯田も落選、平家みちよが合格する。安倍は学校でも期待されていたうえ、番組の放送日まで結果を言えないとあって、友達に合わせる顔がなかった。恥ずかしいのでこのまま引っ越したいとまで思っていた矢先、『ASAYAN』のスタッフルームから電話があり、理由は明かされないまま、東京に来てほしいとだけ言われ、再度上京する。
飯田は飯田で、「私は絶対に歌手になる!」という根拠のない自信があり、『ASAYAN』では3度目の落選だったにもかかわらず「これはタイミングが悪かったんだな」と気持ちを切り換えられたという。
そんな二人のほか中澤裕子、石黒彩、福田明日香と、先のオーディションに最終審査で落ちた10人のうち5人が再び集められ、オリジナルのインディーズCDを5万枚、5日間で売り切ったならメジャーデビューさせると、シャ乱Qのボーカルだったつんく♂(当時の芸名には♂はつかなかったが、当記事ではこの表記で統一する)から告げられた。このあと、5人は「モーニング娘。」と命名され、メジャーデビューを賭けたCD「愛の種」をレコーディングする。
パンの耳を食べ、寝台列車で東京へ
「愛の種」をメンバーが手売りする即売会は、1997年11月から翌月にかけて断続的ながら全国5ヵ所で各1日ずつ開催されることになった。この間、メンバーたちは即売会に人を集めるためキャンペーンで各地を回った。安倍と飯田はやはり北海道出身の石黒とともに地元に戻ると、お金がないので駅4つほどの距離を歩いたり、パンの耳をもらって食べたりしながら各所を回っている。
その途中、東京に急遽行かなければいけなくなるも、飛行機が飛ばなくて、寝台列車で10時間かけて上京するということもあった。後年の対談で安倍からそのことを《覚えてる?》と訊かれ、飯田は《覚えてる! サラリーマンのおじさんが寝てる横で、なっちと彩っぺ[引用者注:石黒のこと]と3人でちっちゃくなって!》と懐かしそうに振り返っている(『週刊プレイボーイ』2007年2月12日号)。
つんく♂プロデュースが始動
即売会ではメンバーたちが必死になって売り続け、4ヵ所目のナゴヤ球場でついに完売する。こうしてモーニング娘。のメジャーデビューが決まった。
和田マネージャーは当初より安倍への評価が高く、彼女を中心にグループを考えていくと息巻いていたらしい。「愛の種」のプロデュースはサエキけんぞうが務め、つんく♂は初めは深入りするつもりはなかったが、和田の熱意に押されてメジャーデビュー後のモーニング娘。のプロデュースを引き受けることになる。(つづく)
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