情報を出す順番の設計も計算されつくしている。「誰が悪いのか」を判断する材料を小出しにすることで、次々に新しい疑惑が生まれてくる。不倫ではないとわかれば第3金曜日の中身が謎になり、充が生きているとわかれば帰らない理由が謎になる。しかも何気ない雑談として聞き流していた会話が、後から伏線として回収される。
設定の作り方も巧い。人たらしの喫茶店主に失踪癖を持たせ、それを松山ケンイチが演じる。月に一度ひそかに妻ではない女性と会い、事故が起きたあとは1年ものあいだ妻に居場所を知らせず失踪、という行動だけを取り出せば最悪の夫でしかないが、それでも憎みきれないのは、松山のどこか力の抜けた芝居の力が大きい。憎みきれないぶん視聴者は充を切り捨てられず、怒り続けることになる。
「T乾」への好き嫌い明確に分かれている理由
それでも、本作への好き嫌いは明確に分かれている。まず賛否が分かれているのが、視聴者の感情を怒りと反感で駆動する形そのものだ。不倫疑惑も、あずさの「関係を理解してもらえる自信がない」という日記帳も、「不倫まがいのこと」を楽しむ発言も、「誰かを許せなくなる情報」として機能する。次回への引きも、ほぼ毎回「実はこの人が悪人かも……」というフックで作られている。
「T乾」というドラマには、人を傷つけようとする悪人はひとりも出てこない。好きだけどパートナーと時々離れたい感覚を配偶者以外の人と分かち合う快楽も理解可能だ。夫婦の形も親密さの形もひとつではないし、同じ人でも相手によって顔を変えて生きている。多様性とわかりあえない他者との共存。
そんな優し気なテーマとは裏腹に、「次の悪役」で話を引っ張る演出手法は悪辣さが際立つ。
複雑ではあっても、最後は互いを認め合う優しい物語にまとめることもできたはずだが、本作はそうなってはいない。
孤独も共存も美しいものとしては描かれず、理解できないから不気味で、怖くて、腹が立つ。そこをごまかしなく突きつける。手法もかなり煽情的だ。結果として少なくない視聴者が、深夜帯の不倫略奪ものや復讐ものを観るときと同じ温度で、松山ケンイチと夏帆に本気で腹を立てている。