映画『アウトレイジ』の「全員悪人」というコピーが思わず浮かんでしまった。

 そして藏内氏自身の発言も変わる。進退を問われた藏内氏は、

「なんで私が辞めないといけないのか」

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 と辞職を否定していた(8月10日付)。

「なんで辞めないといけないのか」から、辞職へ

 ところが8月24日、一転して議員辞職の意向を表明する。「なんで辞めないといけないのか」から、辞職へ。

 さらに9月、自民党福岡県連でも松本国寛会長が辞任を表明。「次の会長は県議から出すべきではない」という声まで噴き出した。

 西日本新聞は9月6日、「自民福岡県連『藏内体制』終焉へ」と報じた。県連関係者は「何でも藏内さんに相談しないと決まらなくなった」と証言している。

 では、ドンが辞めれば、それで解決なのか。藏内氏に権力が集中していたという証言があり、その力がどう使われたのかは検証されなければならない。しかし約270本を読んで気になったのは、その先だ。

 一人のドンが、このシステムを作ったのか。

 それとも、こういうシステムが、一人のドンを作り上げたのか。

 ここまで記事を追うと、一連の調査報道につけられたタイトルの意味も見えてくる。

「歪んだ関係―福岡県政を追う」

 県議会と県庁。議員と職員。公務とそれ以外の活動。そしてカネ。その境界が曖昧になり「忖度」と「慣例」で結びついていた。

 なるほど、「歪んだ関係」とはこのことだったのか。

 だから問題は一人の「ドン」だけではない。ドンが辞めても、ドンを支えた空気が残れば、改革にはならない。

 そしてもう一度最初に戻ろう。この大きな問題の始まりは、記者が抱いた小さな違和感だった。そこから「なぜ?」を重ねた取材は、海外視察、パーティー券、金銭授受疑惑、そして「福岡県議会のドン」を生み出した政治の構造そのものへとたどり着いた。

 西日本新聞の約270本を読んで、あらためて思う。小さな違和感を見過ごさない。「なぜ?」をやめない。そして、監視をやめない。地元紙の仕事とは、こういうことなのだろう。

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