四月三日、定山渓線滝の沢の工藤正勝(十四)が兄(十八)と裏山で遊んでいると、ガサガサ物音がするのでなんであろうと振り向いて見ると小熊二頭に続いて親熊が突如として現れた。兄は正勝に「うつぶせになれ」と命じ、自分は大木の根に首を突っ込んだが、熊はノコノコとうつぶせの正勝のところへ来て右手で頭や背中や耳を掻きむしり、正勝は数十ヶ所に傷を負って気絶してしまった。熊は今度は兄の方にかかり、大きな舌で顔面をベロリベロリと舐めたが、兄は知らぬ顔をしていたので命拾いをした(「北海タイムス」大正14年4月17日、『熊』犬飼哲夫 ぷやら新書、昭和38年、抄出)
ベテラン猟師も恐れる危険な特徴
それから2カ月後、タケノコ採りに山に入った主婦が無惨な死を遂げた。
定山渓温泉地の樵夫(しょうふ)、有馬長作の妻トキ(四十一)は、六月十日午前十時頃、付近の女子供八人連れで裏山にタケノコ採りに入ったが、上手(かみて)に一頭のヒグマが現れた。一同は悲鳴をあげ、散り散りに逃げたが、トキはその場に気絶してしまった。その後、三歳、二十五貫(約九十四キロ)程度の赤毛の加害熊が射殺されたが、トキは臀部および右腕を喰い取られた無惨な死体となって発見された(「小樽新聞」大正14年6月13日、抄出)
定山渓のクマが〈昔から根性が悪い〉というのは『ク スクップ オルシペ 私の一代の話』(砂沢クラ 福武文庫、1990年)に出てくるが、以下のベテラン猟師の発言にも同様の示唆が含まれる。
木村=(中略)面白いもので、その山によってクマの性質も違う。手稲山と定山渓のとでは違うように思う。毛色も真黒なのは体が大きくてのんびりしたところがあり、性質はおとなしい。赤毛は小型で、せいぜい二五〇キロぐらい止まりで、コセコセして遠歩きする(「札幌のクマ狩り名人の座談会」、『熊・クマ・羆(ひぐま)』林克巳 時事通信社、昭和46年)
定山渓はベテラン猟師も警戒するヒグマの危険地帯であった。