若い男性が徴兵され、ヒグマの個体数が急増

戦争中は食料難のために、主婦が連れ立って、相当な山奥まで山菜を採りに行ったという話を、筆者も祖母から聞いたことがある。これらの中には、人知れずヒグマに襲われて亡くなった人もいただろう。

しかし未曾有の国難の時代にあって、ヒグマに関する事件記録は、残念ながら皆無に等しい。

またこの時期は、若い男性の多くが徴兵されたために、ヒグマの個体数が急増したと考えられる。

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それが飽和状態に達したのが昭和20年代後半であり、彼らが人間に牙をむくきっかけとなったのが、〈1953(昭和28)、1954(昭和29)、1956(昭和31)年の相次ぐ冷害による凶作〉(小内透「戦後北海道の地域社会変動」、『現代社会学研究』第10号、1997)であった。

筆者が注目した事件前日のできごと

昭和28年、千歳で新たな人喰い熊事件が発生した。

二十日午前八時ころ、千歳町字水明郷水上部落、林業高坂富蔵さん(六七)が薪切りのため支笏(しこつ)湖■■(判読不能)東側国有林付近に出掛けたが、同日午後四時半になっても帰宅しないため、三男知巳さん(二五)と末弟の世司さん(二〇)の両名が捜しに行ったところ、いつも通る道路から約五百メートル入った林道で、大腿部を大きな爪で引掻かれ、頭部打撲、下顎、右胸部、鎖骨部を喰いちぎられて死んでいる富蔵さんを発見、部落民の応援を求めて自宅に運び込んだが、熊により殺害されたものと判明した(「北海タイムス」昭和28年9月22日)

現場の状況から、加害熊は犠牲者の太ももに手をかけ、さらに頭部を一撃して殺し、その後、食害に及んだものと推測される。

損壊が比較的軽微なのは、襲撃から発見までの時間が短かったためと考えられるが、この経過からでは、食害が目的だったのかどうかはわからない。

ここで筆者が注目したいのは、この事件の前日に、事件現場から15キロ南の苫小牧市内で発生した次の事件である。