21歳男性は右全半身を喰い尽くされ…
次に発生した人喰い熊事件は、13年が経過した昭和13年、同じ定山渓の豊羽(とよは)鉱山であった。
二十一日午後一時半頃、道路視察に赴いた道庁職員一行を案内した定山渓土木請負業、前花幸次郎(二一)、吉倉良太郎(三九)が、馬に乗って定山渓から約三里(約十二キロ)奥の薄別(うすべつ)大曲へさしかかったところ、巨熊が出現した。ヒグマは前花が逃げようとするのを狙って一目散に襲いかかった。翌日昼頃、前花は〈現場より二十間〔約三十六メートル〕を隔てた草むら中に、右全半身をほとんど喰い尽くされ、無残な死体となって埋没されていたのを発見された〉。加害熊は現場から約二キロ離れた地点で撃ち取られた。六歳のメスで六尺〔約一・八メートル〕、五十貫〔約百八十八キロ〕であった(「北海タイムス」昭和13年10月23日・24日・27日、抄出)
加害熊は被害者を「エサ」と認識していた
別の資料によれば、
この熊は一カ月ほど前に、豊羽鉱山の入口の一の沢で射止め損なった手負いの熊だった。このときも、獰猛な奴で、銃口を向けると、猛然と猪進して来たということだった
とのことで、
あとから馬を走らせていた三人には目もくれず、傍らを通り抜けて、まっしぐらに最初に狙ったこの人を追いかけていったということである。(中略)熊獲り名人の談義によると、手負い熊は例外なく人間をみると襲いかかるし、いちど人間の味を覚えた熊はとことんまで執拗に人間に襲いかかると話していた(「中山峠と人食い熊 渡辺整」、『農業北海道』昭和三十四年十二月号)
遺体が「埋没されていた」ことや、前記名人談義からも、加害熊が被害者をエサと認識していたこと、そして以前にも人肉を喰った経験があった可能性が示唆されている。
この事件から4年後の昭和17年、今度は千歳市で事件が発生した。
千歳郡千歳町小山田ナミ子さん(一九)は去る十七日午後二時頃、野草採取のため同町字鳥棚舞方面へ出かけたまま行方不明となったので捜査中のところ、二十日午後三時頃、二里半〔約十キロ〕ほど離れた山中で熊に喰われ惨死体となっているのを発見され、附近住民は目下総出で熊狩り中である(「北海道新聞」昭和17年11月23日)