大河ドラマ『豊臣兄弟!』の舞台としても注目を集める戦国動乱期。本能寺の変のどさくさに乗じて一気に領地を倍増させた家康の飛躍の陰には、教科書には載らない熾烈な攻城のドラマが存在した。
その舞台の一つが山梨県北杜市の「獅子吼(ししく)城」。実はここ、家康の家臣・服部半蔵率いる忍者軍団が夜襲で落としたとされる、全国的にも極めて異色の歴史を持つ山城なのだ。
深い緑の中を進んだ先に突如現れる巨大な石垣や断崖絶壁。数百年前の武将たちが張り巡らせた仕掛けを自らの足で体感する――そんな山城巡りのリアルなもようをお届けする。
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本能寺の変で「漁夫の利」を得た家康
本能寺の変によって、もっとも得をした戦国武将は誰か。
後継争いに勝利する秀吉の名がすぐ頭に浮かぶが、純粋に「想定外の好機が転がり込んできた」という意味では、実は家康の方が「どさくさ紛れに漁夫の利」を得ている。
本能寺の変の際、家康は堺におり、わずかな手勢とともに伊賀を越え三河へ。その後、家康は織田家の家臣が去り、事実上支配者不在の空白地帯と化していた信濃(現・長野県)、甲斐(現・山梨県)、上野(現・群馬県)へと進出し、北条家との争奪戦が始まる。いわゆる天正壬午の乱だ。
約4カ月の争いの結果、家康は甲斐と南信濃を支配下に置き、領地はほぼ倍にまでなる。信長の跡目争いによる畿内周辺の混乱に乗じて、一気に領地を拡大した。
今回攻めるのは、天正壬午の乱で北条方が押さえ、のちに徳川方が奪取した城のひとつ、獅子吼城だ。しかもこの城に攻め込んだのは、家康家臣の服部半蔵だと伝わる。全国でも稀な忍者が落としたと伝わる城だ。
三方を急斜面に守られた山城
獅子吼城があるのは甲斐国北西部。現在の住所でいうと山梨県北杜市須玉町江草。信濃との国境の信州峠も遠望でき、武田信玄の時代には狼煙台も置かれた要地だ。
麓からの比高(標高差)は約120m。地形的には眼下を流れる塩川に食い込むように伸びる尾根の先端にあり、三方を急斜面に守られている。
本来の登城路は西麓の川沿いにある根古屋集落の神社裏から伸びているのだが、今回はちょっとズルをして、中腹まで車で。東側から尾根伝いに攻め込むことにする。三方が急斜面なら、攻め手は尾根から城をうかがうはず。一応、理にはかなっている。
笹ヤブの向こうに現れたのは…
山上の集落を伸びる道の脇に看板。どうやらこの脇から入ってゆくらしい。
尾根よりやや低い位置の山腹に付けられた小道は細く、足元はややおぼつかず。とはいえ平行移動なので登りのキツさはない。入口からものの2~3分で、「いかにも山城」な遺構が目の前に現れた。
尾根をぶった斬る堀切と、斜面の遥か下まで伸びる竪堀。竪堀は一直線ではなく、途中でほぼ直角に折れているのが面白い。






