あとから思えば、オーディションで夕美のセリフを読んだときは、怖いもの知らずでピュアな気持ちで臨めたせいか、本番よりうまくできたという。それに気づいたのは、撮影に入ってから森田監督に「オーディションで読んだままでいい。芝居は芝居だけど、芝居であっちゃいけないんだよ。自然に思いついたままやってくれればいいから」と言われたときだった。
それでも監督からは1週間足らずの撮影中、一度も叱られず、のびのびやらせてもらい、クランクアップのときには「女優をやめずに続けてくださいね」との言葉を贈られた。その言葉に北川は、映画女優になろうと強く誓ったという。
2006年には『間宮兄弟』に続き、ハリウッド映画『ワイルドスピードX3 TOKYO DRIFT』、初主演映画『チェリーパイ』も公開された。
前者は事務所が彼女の知らないあいだにプロフィールと映像資料を送っていて、出演が決まると、アメリカに数ヵ月滞在して撮った。現場では学校で習った英語は通じず、かといって通訳を通すと会話の意味が抜け落ちる気がして、フラストレーションを感じた。それでも毎晩泣きながら勉強し、2ヵ月目には通訳をつけなくても会話できるようになったという(『日経エンタテインメント! MOVIE DX』2006年9月号増刊)。
テレビドラマ出演がなかった“空白の3年”
俳優デビューしてしばらくは映画の仕事が続き、テレビドラマへの出演は『セーラームーン』のあと『モップガール』(2007年、テレビ朝日系)まで3年ほど間が空いた。それというのも《パッとテレビをつけて、誰にでも見られてしまうには、お芝居がまだまだ至らないと思っていて、地上波に乗る勇気がなかった》とのちに語っているように、彼女のなかで葛藤があったかららしい(『AERA』2011年12月12日号)。
その葛藤にひと区切りついたのは20歳くらいのとき、さまざまな役柄を演じるうちに「俳優というのは、きっと最後まで自分に満足することはない、それが当たり前だ」と気づいてからだという。以後、映画だけでなくドラマへの出演も増えていく。

