1999年、当時25歳でフリーターだったライターの白央篤司氏は、アルバイト先のカフェで女優の小川真由美さんと出会い、その場で付き人を依頼された。当時、間近で接していた白央氏が見た「小川真由美の素顔」とは――。

小川真由美 3月26日、86歳で死去していたことが月刊「文藝春秋」の取材でわかった。 ©時事通信社

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テンションを高めるための撮影前の特殊モード

 大河ドラマの顔合わせの日が忘れられない。撮影前にメインキャストとスタッフが顔を揃えて挨拶し合う、いわば始業式的なイベントの日から、小川さんの様子は完全に変わった。自宅に着いて挨拶しても、目を合わせない。返事もうつろだった。

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「あなた……あっちゃん、だったわよね。よろしく」

 何を言ってるのだろう。昨夕もあなたの晩酌用の桃味缶チューハイを買ってきて渡したではないか。

「現場ではね、あたしだけを見てくれればいいから。それ以外のことはしないでね。付き人の仕事ってそこに尽きるのよ。分かったわね?」

 目つきがおかしい。この世を見ていない目になっている。今だったら、女優さんが昂揚して特殊なモードに入り、自分のテンションを高めているんだな……ぐらいに理解できるかもしれないが、いかんせん私はまだガキだった。どうしちゃったんだよ、この人……と戸惑いながら、一緒に渋谷のNHKを目指す。

「あたしだけ見ていてって言ったでしょう……?」

 人生ではじめて入るテレビ局、びっくりするほど広い打ち合わせ室に居並んでいたのは岩下志麻、津川雅彦、西田敏行、江守徹、草笛光子といった面々。主役級の人々がひしめいていた。見とれてしまい、ポーッとしていた私の目の前に小川さんの手がのびてくる。水筒のカップが握られていた。

「何してるのよ、お茶ちょうだい。のど乾いているのよ……!」

「あっ、すみません」

 くるっと振り返って小川さんはドスの効いた声で「あたしだけ見ていてって言ったでしょう……?」と私を叱った。義太夫の語りみたいな太い声だった。両隣にいた名優がこちらを見る。その後ろにいた付き人さんたちもこちらを見た。

「ごめんなさいこの子、芸能界はじめての素人で。みなさんに見惚れちゃって、あたしの用事してくれないのよ……」

 周囲がドッと笑った。多分今なら、受け流せる。ぼんやりしていた自分が悪いのだし、「有名俳優にちょっとでも顔を覚えてもらえるきっかけになったかも」なんて前向きに思うこともできよう。けれどそのときはただ、恥ずかしかった。