挨拶をしにきた岩下志麻に明後日のほうを向いて…

 小川さんは人目があればあるほど、違う人格になった。「鳥や犬ってね、本当に表情が豊かでしょう。俳優として教わることがたくさんあるのよ、だから飼っている。ううん、彼らに教わっているの」なんて慈母のような表情で語っていた昨日までの小川さんは、もうどこにもいない。

 注目を集める場、同業者がひとりでもいる場ならモードは常に大女優。自由奔放、私がルール、空気を読むなんてしない。「常識なんてものに一切あたしは縛られないの……!」といった感じをアピールしたいかのようにも思えた。時にそれは横柄、傲岸不遜といった感じにも当然なる。

 顔合わせも終わって散会というタイミングで、姉妹役を演じる岩下志麻さんが寄ってきた。「お久しぶり、今回もどうぞよろしくね」と挨拶をされたとき、小川さんは一瞥することもなくただ明後日のほうを向いて会釈だけをし、「あっちゃん、行くわよ」と言って部屋を出ていったのだった。ほぼ無視したに近い。あまりのことに一瞬、体が強張ってしまった。

ADVERTISEMENT

「何やってるのよ、早く来て!」

 慌てて付いていく。岩下さんに申し訳ないような気持ちになっていたら「あたしだけを見ていればいいって何度言わせるのよ」と怒気をはらんだ声で小川さんは言った。以来、こんなことがずっと続いていく。

なぜ、わざと嫌われるようなことを…?

 小川さんの役は淀君だった。淀君といえば秀吉の側室、高位の女性である。淀君に仕える役を演じたベテランの女優さんに対して、

「まあ、共演できてうれしいですわ……。あたしが文学座にいた頃、ドラマで共演させていただいたんですのよ。でも……覚えていらっしゃいませんわね、きっと。だってあの頃の私は駆け出し。そしてあなたは主役で、スターでいらしたから」

 と、本番前に突然言い出したこともあった。その人は静かに目を伏せ、ただほほ笑むばかり。辱めではないか――と、こっちがつらくてならない。

 また別の日。撮影が押して深夜になり、終了時間20分ぐらい前になったとき、「どうしてもリテイクしたいシーンがある。小川さん、もう一度スタジオに戻ってほしい。5分もあれば撮り終わるから、頼む」と、年輩のベテラン演出家が楽屋まで頼みにやってきた。

「そう。でも、さっきの衣装気に入らないから替えたいわ。いいでしょう?」