静岡県沼津市などで女性2人が犠牲となった「静岡2女性殺害事件」。母を犠牲となった被害者長女が、事件後の壮絶な半生を語る。虐待、養護施設での生活、そして母の日記に残された衝撃の言葉――。葛藤を乗り越え辿りついた思いとは?
ノンフィクションライターの高木瑞穂氏の文庫新刊『殺め人』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目)
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事件後も続く「遺族の人生」
被害者遺族であり、加害者遺族でもある胸中とは――。
事件の詳細や桑田の素顔もさることながら、私にとってこのことが、もう一つの取材テーマだった。
「もちろん、私のなかには、その2つがあります」
結海さんは、こう強い口調で言った後、事件後に紘子さんの死後に形見ともいうべき母の日記を目にしたときのことを話してくれた。
「施設にいるときのことです。実家のタンスのなかに、母の日記があるのを見つけました。それを読んで衝撃を受けたんです。書いてある言葉が、私に向けられた言葉が強かったから」
写真はもちろん、形見と呼べるものはなにもないなか、唯一、生前の紘子さんの苦悩を知ることができるものだった。結海さんは少し逡巡した後、できれば言いたくないけれど、といった表情で続ける。
「捕まったか何かで、留置所で書いたっぽいんです。内容は、私を17歳で妊娠して、18歳で生むまでの間のことでした。おろせる期間に、お金を握りしめて何度も産婦人科に行った。けれど、結局、決心がつかなかった、ということが書いてあった。その後に『産まなきゃよかったと思うときがある』って」
何度も口にされた言葉だったが、こうして改めて文字にされると、モヤモヤが膨らんでしまうばかりだ。結海さんからすれば、自分が全否定されているような気持ちである。
だからといって、事件後も遺族の人生は続く。
