「自分が悪い」と責め続ける日常がつらかった
――今であればADHDなどの発達障害もよく知られるようになっていますし、その言葉で納得できるんでしょうけれど、当時は一般的ではなかったですよね。
MINAMO 私が小学生ぐらいの時はADHDなんて言葉はなかったですし、対処法も怒って直すぐらいしかなかったんですよ。だからこそ育てるのも結構大変だっただろうなと思います。私自身も学校で怒られて、家でも怒られる。だから、いまだに学校が好きじゃないですよ。嫌な思い出しかないから。
今となっては全然スッキリしているんですけど、昔は母に対して「もうちょっと私のできないところを受け入れてくれたらな」と思っていました。母としては「できないんじゃなくてやらないだけ」と私が怠惰だとなってしまう。私は学校でも家でも、ずっとそれを言われ続けていて。でも怠惰ではないんだって大人になって気づいたんです。
――そうした状況ではどうしても自分を責めてしまいますし、「ADHD」というような言葉を知って、気持ちが楽になったのではないですか。
MINAMO そうですね。親に怒られることも悲しかったけれど、自分が悪いって責め続けた、その日常が辛かったというのはあります。親元を離れて20歳くらいの頃に、お医者さんに診てもらってそうだと診断されて。名前つけてもらえるだけでこんなに楽になるんだと思いました。
「友達のお父さんが羨ましかった」父への複雑な感情
――家庭という枠組みが苦手だと以前、おっしゃってましたね。お父さん、お母さんと個々では別にいいけれども集団になると苦手とありました。
MINAMO 家は嫌でした。本当に家の中が暗くて。ドヨンとした空気を感じていました。両親も私が初めての子供で、でもすごく困った子だったので、どうしていいのかわからない。仕事もすごく忙しくて、でもお金はカツカツで。そういう状況が家の中を暗くさせていたのかなって今となれば思うんですけど。
――小説『母の泥舟』では家庭が暗い一つの理由は、お父さんが暴力気味だったからと書かれています。頭から味噌汁をかけられたりという描写もありました。
MINAMO 私の父がしていたのは、DVというわけじゃなかったんです。DVと言ったらもっと大変な方もいると思うので。私の親の世代って学校の先生にも殴られて育った世代じゃないですか? 私が小学生ぐらいの時はその名残が残っていて、しつけは手で教えるという感じだったんです。ただ、しつけとは言えど、怖い存在ではあった。父=怖いというのは私の中にありました。

