徳山駅は山陽本線がまだ下関に達していなかったその昔、3年弱の間だけ九州の門司と結ぶ鉄道連絡船、すなわち門徳航路があった。いまでも駅前の港からは大分県は国東半島へのフェリーが就航し、大津島や黒髪島などへの離島航路船が発着しており、生粋の港町といっていい。
そんな港を囲むようにして何本もの煙突が並び、夏の青空に煙を吐いていた。徳山は、港町であり、そして瀬戸内海を代表する工業都市なのである。
明治の終わりに海軍の燃料施設が置かれたことをきっかけに軍事都市としての性質を持ち、大正以降は沿岸部の埋立が進んで巨大な工場が次々と進出。市街地の8割を失った戦災を乗り越えて、戦後も工業都市としてさらに飛躍していった。こうした工場で働く人たちの憩いの場、そして日常の買物の場として形成されたのが駅前のアーケード街をはじめとする中心市街地だったのだ。
徳山駅に山陽新幹線が乗り入れたのは、1975年のことだ。当時は郊外の国道沿いではなくまだまだ駅前の商店街が全盛だったご時世である。きっと近鉄百貨店もアーケードの中の小さなお店も、溢れんばかりのお客で輝きを放っていたに違いない。
港を横目に、海沿いの産業道路を歩く。アーケードのないこちら側には飲食店などは少なく、町は静かだ。中心市街地とは反対側にも大きなホテルがあるのは、出張で訪れる人が多いからだろうか。
ややもすれば、観光という点では県内の他都市の後塵を拝する徳山の駅。が、徳山駅が抱えている駅前の町のものがたりに触れると、また訪れて小さなスナックで昔話を聞きながら酒でも飲みたくなってくる。そんな工場と港の町であった。
写真=鼠入昌史





