入道悦ぶ事限り無く、やがて御方に参るべき由を領掌せらる。先づ昔の家人等召し集めて、物の具拵へよ、馬求めよ、さらば其の料に黄金賜はらん、とて彼の使に附けて奉行等に乞はせければ、只白銀一千枚をぞ与へける。此の定めならんには、尾張国賜はらん事もいかであるべき、と持て扱ふたる内に、子息の宰相、大野の城にて此の結構を聴き、広きに驚き急ぎ使して、如何なる事ありとも当家の人々、徳川殿に向かひ、弓を引き矢を放つ事や候ふべき、斯かるあさましき御結構こそ候はね、と教訓したりければ、入道聞きて、是も又謂はれあり、此の上の如何がせまし、案じ煩ふ内に、関が原の合戦、事終りぬ。子息の宰相、加賀の中納言利長と共に大津の御陣に参られけれど、仕出したる事もなければ、唯何となく所領せし地失つて、入道、其の後は淀殿の所縁に附き、大坂に下り住まはれけり。
「このような調子では、尾張国を賜るという話もどうして当てにできようか」と処置に困っていたところ、息子の宰相(織田秀雄)が(自身の居城である)大野城でこの企てを聞き、その無謀さに驚いて急ぎ使者を送った。
「どのような事情があろうとも、我が家の人々が徳川殿に向かって弓を引き、矢を放つようなことがあってよいでしょうか。これほど呆れたご計画はありません」と(父である入道を)諌めた。
入道はこれを聞き、「それもまたもっともだ。この上はどうしたものか」と思い悩んでいるうちに、関ヶ原の合戦が終わってしまった。
息子の宰相は、加賀の中納言(前田利長)と共に東軍の大津の陣へ参上したものの、格別の功績を立てることもできなかったため、ただなんとなく所有していた所領を失ってしまった。
(新井白石『新編藩翰譜』第5巻 人物往来社、1968年)
恩を忘れて金に目がくらみ、息子にまで諌められる。それでいて肝心なところでは決断できず、その煽りを食って息子まで所領を失う。無茶苦茶な話だ。