異例の最終審査延長…「秋元先生が人生を変えてくれた」

――そう答えた時、秋元さんはどのような反応をされていましたか?

真楪伶 ステージの上と審査員席は離れていたので、表情までは見ることができなかったんです。

 実はオーディションも少し特殊で、2015年8月に最終審査を受けたのですが、その場で「審査をもう少し続けます」と発表されたんです。会場にいたメディアの方々も驚いていました。結局、本当の最終審査は延期になりました。

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――とても珍しいケースですね。

真楪伶 だけど、そのおかげで9月から入学した台湾の大学にも少し通うことができました。第一志望の大学だったので本当は卒業したかったんです。でも、日本での活動との両立は難しく、デビュー後に退学することになりました。

 台湾では大学を卒業することがとても重視されるので、親戚からは「卒業してからAKB48で活動しても遅くないよ」と言われることもありました。それでも私は、4年間待つという選択はできませんでした。

©︎石川啓次/文藝春秋

――その決断をご家族はどのように受け止めていたのでしょうか。

真楪伶 実は、AKB48のオーディションを受けていることは、最初はちゃんと両親に言っていなかったんです。二次審査の頃、父から「来週遊びに行こう」と誘われたんです。「来週は台北へ行くから無理かな」と答えると、「今度は何のオーディション?」と聞かれました。

「AKB48だよ」と言うと、「受かったら日本へ行くの?」と聞かれたので、「そうだよ」と答えたんです。当時は、私自身も「まさか受かるはずがない」と思っていたので、父も強く反対はしませんでした。

 合格した後は、中学生の頃から私がAKB48を好きだったことを知っていたので、「何を言っても止められない」と思ったのか、最後は応援してくれました。

――AKB48のオーディションが、真楪伶さんの人生の大きな転機になったことが伝わってきます。

真楪伶 今振り返ると、両親の次に私の人生を大きく変えてくださったのは秋元先生です。もし秋元先生があのオーディションを開催していなかったら、日本へ来ることもなかったと思いますし、今の私はいなかったと思います。

次の記事に続く 「AKB加入後、一番苦労したのは日本語」“初の海外メンバー”として台湾から来日した真楪伶(29)を苦しめた“言語と文化の壁”「マネージャーに失礼な言い方をしてしまい…」

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