1カ月弱で20曲以上の振りと歌詞を覚えなければいけなかった

――日本へ渡り活動をスタートされてからは、どのようなことに苦労されましたか。

真楪伶 一番大変だったのは、日本語もダンスも歌も、すべてゼロからのスタートだったことです。しかも、私は一人で加入したので、同期がいませんでした。

 最初の大きな仕事は、高橋みなみさんの卒業コンサートでした。「ポニーテールとシュシュ」や「ヘビーローテーション」、「会いたかった」など、先輩たちは当たり前のように踊れる曲ばかりでしたが、私にとっては全部が初めてでした。

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 20曲以上の振り付けと歌詞を短期間で覚えなければいけなくて、本当に必死でした。レッスンでも、一緒に覚える同期がいなかったので、送られてきた映像を何度も見返して、自分一人で練習していましたね。

 睡眠時間を削って、毎日夜中まで振り付けを覚えていました。マネージャーさんを通じて研究生のメンバーにお願いして、教えてもらうこともありました。

©︎石川啓次/文藝春秋

――合格してから初めてのコンサートに出演されるまで、どれくらいの時間があったのでしょうか。

真楪伶 正式な発表が2016年2月で、コンサートは3月だったので、1カ月しかありませんでした。結局、振り付けが間に合わず、出演できなかった曲もありました。それが、高橋みなみさん最後のシングル曲「唇にBe My Baby」です。

 本当に悔しくて、ステージの袖からみんなが踊っている姿を見て、涙が止まりませんでした。

©︎石川啓次/文藝春秋

――当時は、思うようにいかない自分にもどかしさを感じていたのでしょうか。

真楪伶 そうですね。「なんで自分はできないんだろう」と、自分を責めてばかりいました。でも今振り返ると、あの時の自分に「本当によく頑張っていた」と言ってあげたいです。

 当時はできないことばかりに目を向けていましたが、「AKB48」という看板を背負う以上、それに見合う実力を身につけなければいけないという思いで必死だったんです。

――そのほかに苦労したことはありますか。