日本語はほとんど話せず、友達のいない日本で孤独を味わった

真楪伶 やはり一番苦労したのは、日本語でした。中学生の頃からAKB48が大好きだったので、推しメンが何を話しているのか知りたくて、もともと日本語を勉強していたんです。高校生になってからは本格的に取り組み、日本語能力試験もN4までは取得していました。

 ただ、試験は選択問題なので解けていましたが、実際の会話はまったく別でした。頭の中で文章を組み立てながら話さなければいけないので、日本へ来た当時はほとんど話せなかったんです。

 それでも、言葉も文化も違う環境の中で、必死に食らいついていました。

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©︎石川啓次/文藝春秋

――生活も慣れないことばかりですもんね。

真楪伶 まだうまくコミュニケーションが取れないから、日本に友達もほとんどいなくて、ずっと1人で孤独な時間が長かったんです。

 一番つらかったのは、その苦しさを両親にも話せなかったことです。もともと両親は芸能活動に賛成ではありませんでしたから、「日本でやっていくのは大変」と弱音を吐くことで、「だから反対したでしょう」と思わせたくなかったんです。だから、何とか一人で頑張るしかありませんでした。

©︎石川啓次/文藝春秋

――文化の違いに戸惑うこともあったのではないでしょうか。

真楪伶 来たばかりの頃は、文化や言い回しの違いに戸惑うこともたくさんありました。

 台湾では思ったことを比較的ストレートに伝えることが多いので、私も遠回しな言い方があまり得意ではありません。もちろん相手を傷つけないようには気を付けていますが、隠し事ができない性格でもあって……。その感覚の違いから、自分では普通に話したつもりでも、誤解されてしまうことがありました。

 例えば、マネージャーさんに写真を撮っていただきたい時、本当は「今、お時間ありますか?」と言いたかったのですが、「今、暇ですか?」と言ってしまったことがあって(笑)。その時は、少し気まずい空気になってしまいました。