「向こうの顔も立てなきゃいけないから、都合のつくメンバーはみんな来てもらって、中には仕事を休んで来てくれた人もいました。ところが、行ってみたら、大した話をするわけでもない。要は“クマ対策やってますよ”というメディア向けのパフォーマンスなんです」
鶴山が言いたいことは次の言葉に集約されている。
「(市長は)いろいろ言ってましたが、一言、感謝してくれるだけでよかったんです。猟友会というのは元来、狩猟を趣味とする者たちの集まりであって、クマを駆除する義務はない。我々の気持ちとして駆除はあくまでボランティアで、実際に日当も4000円ほどしか出ないわけです。それでも困っている人たちがいるから、やっている。そこをわかってもらえないと、命の危険まで懸けてやっている甲斐がない」
その鶴山が手にしているヘルメットには、血液型を示すタグが付いている。
ささやかな夢
“クマに従業員を殺された”という事実は、観光業である温泉施設にとっては、大幅なイメージダウンであることは言うまでもない。
私が瀬美温泉を訪れたのは6月の新緑の美しい季節だったが、広い館内に宿泊客は私を含めて4組だけだった。
それだけに、岩本がインタビューを受けてくれたことが意外だった。
新たな安全対策を施して、再出発したばかりのタイミングである。岩本にとっても、今さら蒸し返されたくない話だろうし、取材を受けるメリットはなかったはずだ。
「それは、もういろんなメディアで名前が出ちゃってますから。今さら隠しても、しょうがないですし、むしろ万全な安全対策を施した上で再出発したことを知ってもらった方がいい。……そもそも自分がSさんを誘わなければこんなことにならなかったわけで、Sさんにもご家族にもただただ『申し訳ない』という気持ちしかないんです」
Sさんは常々「娘を高校まで出してやりたい」と、ささやかな夢を語っていたという。
その夢はこれ以上ないほど残酷な形で断たれ、妻と娘たちはこの地を離れた。
「浮かばれないですよね」岩本がポツリと言った。
「Sさんの遺留品の確認を求められたんです。そうしたら娘さんの給食費の領収書があったんです。財布の中はほぼ空だったんですけど、その分だけはきちんと払ってた。そういう人なんですよ。どうして温泉の掃除を真面目にしていただけのSさんがクマに連れ去られなければならなかったのか。結局、何もわからないままじゃないですか」
岩本がもう一度、繰り返した。
「これじゃ、浮かばれないですよ」
夜の静寂が戻ると、窓の外を流れる川の瀬音が不意に耳についた。
(文中一部敬称略)
